重要文化財・目加田家住宅
日本の建築史を調べると、
「日本の住宅の間取りは武家屋敷がもとになっている」
という記述が出てきますが、現存する武家屋敷は非常に少なく、そうした時代をイメージするのは難しくなっています。
目加田家住宅はそんな現存する武家住宅の一つ。
典型的な武家屋敷の作りを見ることができます。
中級武士の住居として、江戸時代には珍しくもない住居だったでしょうが、今では重要文化財に指定されているあたり、どれだけ現存するものが珍しいかを物語っています。
(もちろんそれだけが指定の理由ではないでしょうが)
武家屋敷の特徴を間取りから見ると、来客のための「公」のスペースと、
家族のための「私」のスペースが明確に分かれていること。
他でも「床の間」という、家の中心に向けた動線を基準に家が設計されていましたが、それでも私的な空間との間取りは緩やかに混じっていました。
しかし武家屋敷では公的な空間と私的な空間は厳密に分けられ、公的な空間に入らずに生活ができるようになっています。
この背景について、下山眞司氏は「寺院建築では来客のための場が主で、そのための準備の場が裏にある格好だが、それを基にしており、来客を主、住民を従としたのではないか」と考察されています。
公的な空間
まず玄関。
武家の特徴である冠木門(かぶきもん)から玄関に入ります。
冠木門は江戸時代の関所でも使われていたので、時代劇ではそちらの印象の方が強いかもしれません。
「式台」と言われる玄関スペースは現在の玄関に繋がりますが、本来この台は輿との高さを合わせるための物だそうです。
靴を脱ぐ場所ではなく、偉い人が地面に足を下ろさずに移動できるための台だと考えてもらうと良いかと思います。
江戸中期のこの建築で実際にどのぐらい籠を使ったかは分かりませんが、例えば同じく江戸中期の住宅で重要文化財である「石谷家住宅」の解説では「(民家だが)格式を表すため武家風の式台が造られた」とあります。
「これがあるからこの格式」という約束事の一つと考えても良いかと思われます。
玄関を登ったところには衝立(ついたて)があります。(モデルでは省略)
今でも旧家や旅館の入り口に置いてあったりしますね。玄関の間は唯一公的な場所と私的な場が共用される部屋ですが、衝立を間仕切りとして観念的に仕切られています。
そうして玄関から入ると部屋が二つ続き、一番奥にメインとなる床の間があります。
玄関から二の間、床の間と格が上がっていき、天井高さが違ったりと区別がついています。
また二の間から床の間の間仕切りだけ欄間があります。
こうして部屋のあちこちに部屋の格式を表すサインが散りばめられています。
床の間や違い棚もそうした様式の一つですが、家で一番良い場所を表すので、当然良い材料や良い細工のものが使われていたりします。
知らなければ「ふ~ん」で済ましてしまいそうなところですが、見学する機会があればぜひそうしたところに目を配ってもらえればと思います。
なお、3Dモデリングするときはいつもここだけ特別なテクスチャ(素材データ)を使うか迷うところです。
データが一気に重くなっちゃうんだよなぁ。
床の間から左を見ると庭が一望できます。
家の中で一番眺めの良い場所で、ここに床の間が来ることから逆算して家全体を設計したというのが当時の設計の流れであったと思われます。
私的な空間
玄関の右に小さな入り口があるのが分かります。
こちらが家族のための入り口で、ここで分断されているのが特徴。
入った先の玄関は同じ部屋ですが、先ほどの衝立で区切られています。
この後ろが家族のための空間で、生活は全てこちらで行っていたとのこと。
「家の中心は床の間」と説明してきましたが、私的な空間にも小さな床の間があり、私的な空間の中にも格があることが分かります。
まだ廊下はなく、部屋を通り抜けて移動する通る造りです。
部屋数は多いのですが部屋ごとの差は少なく、実用性重視です。こちらが実際の生活の中心であったと感じられます。そうした理由から、観光ではこちらの「私」のスペースは公開されない建物も多いです。
家族だけであれば公的なスペースは使わない、と言いましたが、「武士の家計簿」(磯田 道史)によると江戸時代の武士は毎日のように饗応があったそうなので、そうした来客をもてなし、その横で家族が生活するためにもこうした区分けは実際の家の使い方に即していたようです。
屋根と瓦
パッと見、平らで面白みのない屋根の形に見えますが、この家の屋根一つでも結構語れることがあります。
まず「パッと見で面白くない」と思えるところ。
この家、表から見えると平屋ですが、裏に回ると二階建てだと分かります。
江戸時代の町家や武家など、大名や将軍に近いところの住居では、そうした「身分の高い方を見降ろさないこと」が建築要件としてありました。
このため、このようにわざわざ平屋建築「風」に作られているわけです。
平屋でないのは、この地域に水害が多く、緊急時に二階に逃げる必要性があったため、とのこと。
このため二階も結構広く、採光も考えられていて、「屋根裏」でありながら「二階」と言っても良いほどの造りです。
ただし表から見れば「平家風」なので、階段は作り付けではなく移動できる簡易的なものです。
背景を知ると、こうしたちぐはぐな作りも理由が分かります。
ちなみに町民の場合は二階は無いか、あるいは表通りに対しては中二階までという場合が多くありました。
中二階に窓を設ける場合は「虫籠窓」という分厚い窓にして、わざと見通しを悪くしていました。
(虫籠窓の例。西本願寺向いのお店)
今でも虫籠窓を街道筋の古い町家で見かけることがありますが、この窓があるということは、規制のあった江戸時代の建築で、かつその場所が昔の街道筋など、人通りの多い筋に面していると分かるわけです。
虫籠窓の中は窓があるとはいえ薄暗く、また天井も低いため、使用人の部屋などに使われたことが多かったそうです。
そして瓦。
この家の瓦は「両袖瓦」という瓦が使われています。
非常に特殊な瓦で、この地域と、なぜか大阪の堺市でしか見つかっていないそうです。
(普通は「桟瓦」といって同じ形の瓦が並ぶのに、ここでは平瓦→両袖瓦を交互に敷き詰めている)
私のモデリングでは瓦はぜんぶ一枚一枚作っており、この家のモデルのために両袖瓦もモデリングしています。
多分再利用することは無いと思います・・・
大変だったけど、まぁ仕方ない。
このため背景として使用すると、知ってる人には「目加田家住宅じゃん!」という癖が強すぎるのは、まぁ、ごめんなさい。
そのまま再現するのが私のモデリング手法なので、なにとぞご容赦を。
瓦もねぇ・・・話し始めると結構長くなるんですが、今回は割愛。
またまとめて話しても面白いかもしれません。
武家屋敷の床の間
家で一番大事なのは床の間ですが、そこから庭を眺めれば家で一番良い景色になるように設計されています。
この庭を眺める視点、「刀剣乱舞」の本丸など、「武家風」を表現するのに非常に良く使われる構図です。
分かりやすいし、一番絵になる構図ということでしょう。
これは3Dモデルなので、縁側に出るなり、床の間に視線を寄せるなり、好きな角度で背景を作ることはできます。
実際に家の中をウォークスルーした動画はこちら。
ぜひ好きな角度で切り取って漫画やイラスト、ゲームの背景でもご使用ください。
江戸時代の武家の話や、刀剣乱舞の同人誌を書くならなかなか便利なモデルじゃないか?と思ってるんですが、残念ながらまだ使用事例を伺ったことがありません。
ご一報いただけましたら、私が喜びます。