ネットとスマホの時代に、ボードゲームを遊ぶ意味
日本じゃ怖ろしくマイナーな上、人を集めないと遊べないボードゲームは遊ぶだけでも大変。試遊スペースのある専門ショップに行くにも、交通費と時間は掛かる。
交流を求めるならプレステやパソコン、スマホでネット対戦するほうがどれだけ楽か。
ゲーセンのほうが数は何倍どころか何桁も多いし、掛かるお金も、場合によっては試遊スペースで遊ぶのとそれほど変わらないかもしれない。
Amusement Arcade / Dick Thomas Johnson
全く、ボードゲームを遊ぶのは非効率で前時代的。
じゃあ何で、ボードゲームで遊ぶのか。
「好きだから」と言えばそれまでだけど、遊ぶことで分かった、遊ぶことでしか分からなかった魅力は、ブログに書く意味があると思う。
たぶんこれから書くことは新聞や記事とも、ボードゲームにどっぷりハマっている人とも違う。少なくとも自分は読んだことがない。
本当の魅力は、日本でまだ上手く発掘されていないんじゃないか。
コミュニケーション
良く上げられるボードゲームの良さは「対面であること」。「対面でのコミュニケーションが云々」なんて新聞でも取り上げられたり。
確かに良いんですよ、コミュニケーションには。同世代を集めて「ボードゲーム婚活」なんて本当にアリだと思う。
でもね、インターネットの更に前、「草の根ネット」と呼ばれていた時代からネットに接続していて、オンラインゲームもネット対戦も経験して、周りにゃオンゲ(オンラインゲーム)で知り合った人と結婚しましたなんて人も居る人間から言わせると、ネットだって無機質じゃない。
「ネットは不健康」「アナログゲームは健康」なんて区分は偏見で、ボードゲームだって真面目にやりゃ不健康なことは変わらない。日がな部屋に引きこもってサイコロ振って小さな駒を動かしてるんだから、学生が雀荘に溜まってるのと同じようなもんだ。
ボードゲームは好きだし、魅力は語りたい。
でも、妙な神格化とか、変な持ち上げ方は良くない。ボードゲームだって、数ある娯楽の一つ。それぞれに魅力があるし、良さも、欠点もある。
老若男女
個人的にはアナログゲーム独自の魅力はこっちで、それが生かせていないのが今の日本のボードゲーム業界の問題だと思う。
今の家庭用据え置きゲームは高度化しすぎてマニア化していると指摘される。実際、ほとんどのネット対戦ゲームは同じ趣味嗜好を持った人は繋げても、それを広げる力は弱い。SNSも、ソーシャルゲームも同じ趣味の人は繋げても、その枠の外に繋がりを広げるのは苦手なんじゃないか。
ボードゲームの魅力は、その対象を選ばないこと。
高度化しすぎたゲームは、そのハードを使用できること、という大きな前提条件を設けてしまう。
でも、ボードゲームはどんなに高度でも、少なくともハードの制約はない。(小さな部品を使うから幼児には不適、という場合は置いておいて)
未就学児と九十を超えた老人でも、将棋盤の前では同じレベルで競える。
Japanese Checkers - "Go" / A.Davey
それがボードゲームの魅力だと思う。
うちの話
うちには娘がいる。
今年小学生になった娘は、自分の祖父母とボードゲームで遊ぶ。妹(娘の叔母)の彼氏が遊びに来ているときも、ゲームを持って行ってみんなでわいわいと遊ぶ。
ゲームを適切に選べば子供だからと手加減する必要も無い。気を遣わずに、バシバシ叩きのめしてやれば、そのうち悔しくてどうやれば勝てるか考えるようになる。
何人も集まって、大した器具も必要とせず 、世代・性別を問わずに遊べる。
これがボードゲームの良さか、と娘を見て思うようになった。
「エセ芸術家 ニューヨークへ行く」
年齢、絵の巧拙を問わないお絵かきゲーム。
遊べる人数も最大11人と、何人でもわいわい楽しめる。
娘は5歳の時に家族全員を出し抜いたこともある。マジで強い。
「ボードゲームかくあるべし」「ボードゲームの本質」なんて難しいことを言うつもりはない。でも、市場の小さい日本のボードゲームは、ともするとマニアの領域にズンズンと進みがちなのは、見ていてちょっと不安で、勿体ないと感じることがある。
これについてはドイツ人の知り合いも同意見。
「ドイツではアナログゲームは家庭でテレビゲームと対立するわけでなく、両方よく遊ばれている。祖父母と小さな子供が一緒に遊べるから、アナログゲームがドイツでよく遊ばれるのは、僕はとても良いことだと思っている」
ちなみに彼はボードゲームはやらないそう。ドイツ人だからって誰でもやるわけじゃないんだよね、当たり前だけど。
ルール改変
ボードゲームの魅力は、ルールを自由にいじれるところにもある。
テレビゲームだとなかなかこうはいかない。
例えば参加者に子供がいる場合。
「このルールは難しいから、今日はこれを使用禁止にしよう」とか、逆に
「今日はマニアばっかりだからこんなコトしてゲームの難易度を上げちゃおう」とかそんな無茶が通用する。
なかなかイメージが沸かなければ、トランプの「大富豪」を思い出して欲しい。
アプリだっていくらでもある。
じゃ、大富豪(一部地区では「大貧民」)のルールは?今想像した大富豪と、隣にいる人のイメージする大富豪。そのルールは微妙に違っている可能性が高い。その「地方ルール」の自由さはアナログゲームに共通している。そして、それも魅力の一つだと思う。
ちなみに大富豪の地方ルール、どれぐらいご存じですか?名前だけ挙げてみても「革命・大革命・階段(ストレート)・8切り・Jリターン・2上がり・1上がり・嵐・縛り・フルオープン・都落ち」あとなんかあったっけ・・・もう大分忘れたな。いくつ知ってます?とにかく多い。
ほぼ公式に認められている物から、それこそ一学校内の限定ルールまで。
有名な地方ルールと言えば、UNOなんかもそう。
皆さんが知っているUNOは、実は多分公式なモンじゃない。日本でメジャーなのは、実は日本のローカルルールで、公式ルールはもっと戦略的で、点数計算が必要なもの。こちらで詳しく解説されてます。
知られざる?UNO公式ルール - デイリーポータルZ:@nifty
だからどう、というわけじゃない。公式は公式の面白さがあるし、点数計算のいらない日本の独自ルールは短い時間の暇つぶしにマッチし、そして子供の参加しやすさを広げたことでここまで日本で広がったのは事実だろう。一つ言えるのは、UNOはその両方の楽しみ方のできる、実はすごく広がりのあるカードゲームだということだ。
誰でも遊べる「ようにする」のがボードゲーム
「誰でも遊べる」という枕詞は、心地良い。
でもルールに従って遊ぶだけじゃ作者の意図からはみ出すことはできない。
そこからはみ出せる自由さ、言い換えれば曖昧さもボードゲームの魅力で、それは「コミュニケーションに良いからみんなでボードゲームをやりましょう」なんて大上段な集まりから出てくるモンじゃない。
みんなで集まって、周りを巻き込んで、わいわいとゲームをしていく中で
「あの人も参加しやすいようにこうしてあげよう」
「みんな慣れてきた(飽きてきた)からこうしてみよう」
という小さな工夫が積み上がっていく。それがアナログゲームの良さじゃないかな。
日本の麻雀のルールは、本場であるはずの中国の物からは似ても似つかない物になっている。
アニメ「咲-saki-」を中国人が見て「ルールが分からん」って話題になったり
プロ棋士達は一時流行ったお陰で、周り将棋に異常に強いらしい。
そんな工夫の余地が、しかも誰にでもあることもボードゲームの魅力、だと思う。
最近はマインクラフトのように、テレビゲームでもMOD(改造)を受け入れる様になっている。この傾向は素晴らしいし、その敷居が全年齢に広まり、普及したときにこそボードゲームは廃れるべきかもしれない。
でも、そんな時代はまだ、もう少し先だろう。
それまで、まだまだボードゲームには可能性があるし、少子高齢化の今こそ、もっと広がるべきモンじゃないかと思う。
このブログを読んでいる人の何割かは子育て世代だろうし、親と同居している人もいれば、孫の居る人もいるだろう。
そんな人にこそ、少しでもボードゲームに興味を持って、家族で遊べるゲームに挑戦して欲しいな、と思う。