ペンとサイコロ -pen and dice- BLOG

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お金がこわい、日本人

美大出身で絵で食べていきたい人とか、同人で出展している作家とか、
アトリエを主催している人とか、嫁のおかげか芸術や創作でお金を稼いでいる人の知り合いが増えた。
そういう人と話をしていると、お金のことを考えるのが苦手な人が本当に多い。
知識が無いとかそういう話だけじゃなくて、お金を悪いもの、と考えている人も多い。

Money Money Money Mooooney / Ahmed Rabea


こういうのは良くない、と思う。
これは、特にこういう芸術界隈の人達が純粋培養されているだけで、
自分も学校でお金について学んだ記憶はない。
国家論をするつもりはないが、日本の教育の問題って結構あると思う。


アメリカの学校では株やトレードを学んで、仮想通貨で市場を体験しているらしい。
だから日本も株や市場原理を小学生から!
といいたいわけじゃない。
もっと基本的なこと。
お金って本質的には何か?
そんな話を道徳として習った方が良いんじゃないかな、ということ。


この前会った美大卒の子は、美大を卒業後フリーターしながら絵を描いている。
イベントに出展したり、個展開催を考えたりと芸術活動はちゃんと続けていると言っていた。
でも自分の絵に値段を付けるのがイヤ、という思いが取れないのが悩みらしい。
(もちろん自分の絵の評価とか、売り込み方とか、絵の技法とか悩みは尽きないんだけど)

Drawing Class / Galt Museum & Archives on The Commons


その子の場合、絵の値段についていくらが適正か悩んでるんじゃない。
「自分の書いたものでお金をもらっていいんだろうか」
という、良心の呵責にも近い苦しみを持っている。
だから、絵を描くのは楽しいし、認めて貰いたいんだろうけど、それを商売に繋げられない。
この気持ちがなんとなくわかる人も多いんじゃないだろうか。


この感情こそが、お金について知らないことによる病理じゃないか。
仕事で稼ぐことがストレスになる、お金を貰うのが申し訳ないとやたら安い値段を提示する。
自らの生活を苦しめるようなこんな行動の根っこは同じだと思う。
日本のサービスは過剰と言われるまでに進んでいるし、それは誇るべきだと思うけど、
ものづくりでもサービスでも、対価をきちんと要求することが下手な国民でもあると思う。
日本はデフレに悩んでいるが、その原因は国や日銀だけでなく、一人一人の意識の問題も
少なからずあるんじゃないかと思う。

お金は感謝の形

ものづくりでもそうだが、特にサービス業への本来のお金は「感謝の証」だと思う。
何かをしてもらって、見返りに何かをする。
そんなサービスの物々交換が一番原始的なサービス業だろう。
その場で渡せる物やサービスが無ければ、その「約束」として、貝や石を渡す。
それが通貨の始まりだった。


それなら、芸術についてもそうだと思う。
音楽や芸術への対価として、労働を提供したものが「絵を売る」ということじゃないか。
「あなたの絵が欲しい。そのために場所も食事も提供するから描いて欲しい」
という対価の提供が絵にお金を払うと言うことなら、
中世のパトロン絵師というのは絵画芸術の本質といえるかもしれない。

Altar of the City Patrons / wit

そして「そこまでしてでも絵が欲しい」という「対価」が絵の価値であり、正当な対価だろう。
だから正統にお金を要求して、それを得ることこそ自分の絵を認めることになる。
逆に「こんな絵はこんなお金でいいです」と安くすることは、
自分の収入のみならず、相手の感謝を認めないことになる。
正統な商品やサービスには、正当な対価が支払われるべき。
それを否定することは、自分への謙遜では無く、お客様や市場の他の商品・サービスを
バカにしているということじゃないだろうか。


お金は「対価」という本質から既に何段階も飛躍して、変質している。
でもその本質に戻って考えれば、お金を稼ぐということは
より感謝を集めるということなんだから、誇っていいことのハズだ。
お金を稼いで、自分もそのお金を使うことが感謝を最大化することになる。
ブータンの指標は国民総幸福である」

Buddhist Altar (Bhutan Temple) / Hyougushi

なんてことが話題にもなったが、本来ならGDPの大きな日本は「感謝の大きな国」であるはずだ。
それがそうなっていない理由をこそ、論じなければいけないんじゃないのか。


お金には色がないから、おばぁちゃんを騙して儲けたお金も、
必死に描いた絵を、苦労して、感謝されながら買ってもらったお金も区別はつかない。
だからと言って、儲けたお金を「儲けていないです」というのはおかしいし、
儲けている人を「なんか悪いことしたんじゃないの」というのもおかしい。
本来なら感謝するようにお金を使っていけばみんな稼げて、みんな幸せになる。
経済が活性化するとか、好景気というと人ごとに聞こえるけど、
経済が好転するとは本来そういうことだ。


お金の話は大事だが、それはお金の多寡の話じゃない。
お金は大事な物で、たくさん稼いで、たくさん使うとみんな幸せになる。
そんな基本をまず知った上で、どう稼ぐか、どう使うか考えればいいんじゃないか。
お金の話の一年生レベルの話かもしれないが、それを書いた物を余り見たことがないので
自分なりの言葉で書いてみた。
「おとぎ話の話だ」と思われるかもしれないが、
歴史の1ページ目はどの国も普通は「天地創造」から入るもんだ。
(日本の歴史の教科書が「宇宙」や「地球の誕生」から始まるのは世界的には結構特殊)

Kitaro "Kojiki" / CLF

神様のお話から始まって、それからみんな親殺しでも兄弟殺しでも、
より厳しい現実を学んべばいいと思う。
お金の話と言って、いきなりファイナンシャルプランナーナニワ金融道やウシジマくんが出てくるのはどうもね。