闘う科学者の話
命を賭して闘う研究もある。
ガリレオ・ガリレイは協会と戦ったが、研究そのものが闘いという事もある。
そんな、現代の戦う科学者の話をしてみる。
「はやぶさ」プロジェクトマネージャー、川口淳一郎教授の話で
「科学者だって、何かと戦っている」ことを知った方も多いだろう。
はやぶさ、そうまでして君は〜生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話
- 作者: 川口淳一郎
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2010/12/10
- メディア: 単行本
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研究自身もそうだし、癌で余命が長くないと知ってからは匿名の癌患者として
ブログを更新するなど科学者としての情報発信にギリギリまで尽力された。
ブログは立花隆氏によって書籍にまとめられている。
- 作者: 戸塚洋二,立花隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/05
- メディア: 単行本
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科学の壮大さについて、あるいは戸塚洋二さんについての記事を掲載していた。
彼も壮絶だったが、今日は別の科学者の壮絶な記録を、短く紹介したい。
幻の?ノーベル賞
優れた功績に対して贈られるノーベル賞は、「存命の人に対して」という基準がある。
Nobel-Prize / Mediocre2010
そのルールを唯一破ってノーベル賞を贈られたのが
2011年ノーベル生理学・医学賞を受賞したラルフ・M・スタインマン(Ralph M.Steinman)。
ノーベル賞の受賞4日前に死亡していたことを委員会が知らず、受賞を連絡した際に死亡が発覚した。
ノーベル委員会側は特例としてノーベル賞を授与することとしたが、
彼の研究内容とその最期を知ると、この授与も単なる「特例」とは言えない事情がある。
スタインマンの功績
スタインマンの受賞理由は
「樹状細胞と、獲得免疫におけるその役割の発見」というもの。
体が細菌などの異物を発見し、撃退するには様々な免疫機構が働いている。
1970年代、免疫機構の戦うユニット(白血球)は見つかっていたが、異物を発見し、免疫機能を働かせる機構は見つかっていなかった。
スタインマンはこの役目を担う「樹状細胞」を発見した。
Asha Bhakar, MIT in collaboration with the Harvard LDDN, USA / GE Healthcare
ところが培養の難しい樹状細胞はその存在自体もなかなか信じてもらえず、
「彼はまさに闘った」(日経サイエンス 2011年4月号p70)
と周囲に言わしめる活動を20年来も続けた。
現在では樹状細胞の研究は最先端医学として、特に癌に対して調査されている。
がん細胞は元々の人間にある細胞が変異した物なので、「普通の」細胞と区別が付きにくい。
Cancer cells / Balapagos
このがん細胞の特徴を見つけて、樹状細胞に教えられれば、人間の免疫機構で癌を殺せるかもしれない。
これが「がんワクチン」の考え方だ。
樹状細胞がみつかり、その働きが研究されることで、例えば2010年前立腺がんワクチンがアメリカで承認されるまでになった。
本当の闘いの始まり
だが、スタインマンの本当の闘いは2007年3月に始まる。
旅行中の腹痛がきっかけで精密検査を受けたところ、膵臓癌が発見されたのだ。
しかもリンパ節への転移も分かった。
膵臓癌の一年間生存率は20%以下。
※スタインマンのかかった膵臓癌の種類の場合。種類や症状で一概に決まった数字ではありません。
さて、どうするか。
世界最高の医師群
ここでスタインマンは「私は非常に有利な立場にいる」と話したそうだ。
自分自身がその研究の権威であり、世界の最先端治療を研究している知人がいる。
ここから彼は友人を頼り、あらゆる最先端治療を試すことになる。
簡単に治療歴をまとめるとこんな感じ(日経サイエンス2012年4月号p72)
卑怯、ではない
治療には彼用に調合された薬があったり、本来は別用途に作られた薬を特別に使用したりしている。
こんな話をすると「有名な研究者だからって、そんな優遇を受けて良いのか?」
と思ってしまうが、そういう訳ではない。
どの投薬も正式に「治験(実験的な治療)」という申請を行い、承認を受けた上で行われている。
また、投薬時期がずれていることからも分かるように、これらの治療は並行して行われていない。
研究中の薬や、他の目的の治療薬の流用は、効果が高い可能性があっても確証は取れていない、
リスクが高すぎて承認されていない治療法といえる。
つまり、彼はもちろん治療も行っていたが、それ以上に自らを実験体として最新のワクチンを試していたのだ。
癌治療は複数の手法を並行して行うのが一般的なので、
単純に治療効果を高めたければたくさんの種類を同時並行で行えば良いし、周囲もそれを勧めたが、
彼が最先端治療は一つづつと制限していたらしい。
実際、既存の化学治療は並行して行っていたが、延命効果を高めるこうした治療も、ワクチンの効果が見えにくくなると、嫌がっていたらしい。
友人であり、科学者であり、患者
彼を治療する医師達は、みんな彼の友人だった。
外科医でも、自分の親族だけはメスを入れられないと聞いたことがある。
Surgical Instruments / Instrumentos de cirugia / AmazonCARES
余命幾ばくもないと分かっている友人で、尊敬する科学者に対して、不安定な最先端医療を行うことは
その医師にとっても辛い、と友人である医師も語ったそうだ。
スタインマン本人は日々症状を細かく分析し、外観や状態だけでなく、「どんな感じがするか」まで
克明に残していたという。
また、あるワクチンで注射部位が腫れれば「これがT細胞(白血球の一種)だ!素晴らしいじゃないか」と
そのワクチンを提供した医師のいるホテルにまで腫れを見せに行ったらしい。
なんとも、最後の最後まで科学者然としていたように見受けられる。
退院できないかもしれないな
一年もないと思われていた余命が4年にまで届いた2011年、肺炎になったスタインマンは息を引き取る。
肺炎で入院するとなったときに娘に「退院できないかもしれないな」と語ったそうだが、
医者としても、一個人としても体の限界は感じていたのだろう。
スタインマンの治療は成功し、寿命を延ばすことが出来たと多くの医師は考えているという。
しかし実際の治験には膨大な患者数が必要だし、そもそもどの治療が良かったのかも現段階では分からない。
とはいえ一人の「物言う患者」が残してくれたサンプルは膵臓癌の治療に役立つデータを
与えてくれるだろうし、「これをやり通すことが、ラルフに対する義務」(日経サイエンス2012年4月号p74)と
その治療法の承認化に向けた動きも進んでいる。
スタインマンの治療(治験)は果たしてどういう意味があったのか。
それは科学者コミュニティの自己満足だったのか。
日経サイエンスのスタインマンを悼む記事では「数日早すぎた死」と言う見出しと、
「発見すべき事がまだまだたくさん残っている」という言葉で記事を締めくくっている。
しかし、一科学者としてのスタインマンの人生はどうだっただろう。
樹状細胞を発見し、存命中にその研究結果が治験・認証薬のレベルにまでなり、
自らの寿命を延ばすことでその効果を実証することまでできた。
当然、闘病生活は苦しい物だったろうし、「楽しく幸せに暮らしましたとさ」とは行かない。
でも、自らが生きている一日が自らの研究成果の表れであり、死の一週間前まで自らの治験データを
分析した人生はどうだったろうか。
私はその数日が「早すぎた」とは思わない。
できれば、草葉の陰で「どうだ!」とガッツポーズするぐらいの、科学者冥利に尽きる幸せな人生であったと思い、
彼の冥福を祈りたい。
この記事は、原文はScientific American、"The Patient Scientist"
邦訳は日経サイエンス2012年4月号「スタインマンの最後の闘い 自ら試したがんワクチン」を参照しました。
(その他ネットで調べた情報を加えています)
敢えて読み物として、過度に感傷的な書き方をしています。
また記事と比較して、詳細はかなり省いています。
興味をお持ちの方は、より詳しい記事を是非雑誌にてご覧下さい。科学に興味を持つ人が、こんなところからでも一人でも増えてもらえれば。
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版社
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