ペンとサイコロ -pen and dice- BLOG

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年金制度の崩壊は、増税では止められない。高齢者の「死ぬ権利」について。

ここのところ立て続けに「もう老人にカネを払うのは無理」というエントリが続いた。
・リンク → 「お年寄りを見殺そう」という第三極の政治勢力: やまもといちろうBLOG(ブログ)
・リンク → 404 Blog Not Found:備忘録−そもそもなぜ老は敬われてきたのか
・リンク → 404 Blog Not Found:備忘録−そもそもなぜ弱者を救済せねばならないのか
・リンク → 大半のお年寄りは「若いのに迷惑をかけたくない」と思っているのに……−シロクマの屑籠


日本に限らず、多くの先進国は高齢者に対する保障が労働人口に対して重い負担となっている。
福祉はそれを支える労働人口の割合がこの程度、という前提を元に制度設計されるが、
第二次大戦後、先進国で人口構造が変わるような戦争は起こらず、
医療の進歩で平均寿命はどんどん延び、
ほとんどの国で出生率は低下している。
つまり過去に作った制度がもはや機能していない。

Old woman reading / quinn.anya


この対策として、日本ではすでに年金の開始支給年齢は引き上げられ、増税を続けている。
日本が世界に対して圧倒的な優位性を持っているならこういった変更も受け入れられるだろうが、
新興国の台頭と円高という背景で企業も疲弊し、とても余裕はない。
年金制度が崩壊しているのは長年の政府のPRもありみんな知っているが、
いよいよ一歩踏み込んだ意見が出てくるのかなという気がする。

「年金減らせ」はタブーなのか?

戦争は始めるより終わることが難しいと言われるが、
たくさんの人間が参加する仕組みで、その多くに不利益となる変更は導入が難しい。
戦争でも、早い段階で「負けた」というと実働部隊は「まだまだ戦える」と暴走するし、
手遅れになるまで泥沼化すると国自体が疲弊してしまう。


年金の場合は、マクロの話をすると必ずミクロの反応が来る。
「じゃあ、オレは来月からどうして生きていけばいいんだ」
「どこどこのおじいさんは、年金を減らされたら飢え死にしてしまう」
まじめな人はこれに対する論理的な反応をしてしまうが、そういうことじゃないと思う。
これだけたくさんの人が絡むシステムに、100%の正解は無い。
国民全体での幸せの最大値を満たすような「落としどころ」しか無いだろう。
そう考えると取り上げた二つのブログの反応はほとんど逆ギレと言える。
「そうは言ってもオレだって苦しいんだよ!」
「そもそもなんでオレが養わないといけないんだよ!」
そしてその反応は、議論の前提条件から考え直すという意味では、恐らく正しい。

The Stimulus Plan - While Fools Argue, The Economy Worsens / mariopiperni

「年金減らせ」だけで終わるのはズルい

年金を減らして終わるだけでは、高齢者に対してただの不利益変更になる。
それだけでは余りに失礼な話だ。
一つの変更だけでは終わらず、それによる影響を相殺する仕組みは必要。
ただ、「こっちで増税するからこの辺で補助金を出すよ」というのは最悪
それじゃ制度を複雑にして、公務員の仕事を増やすだけになる。
この意見は前にも出したが、「年金を減らして、老人の働く場所を増やす」というのはどうだろうか。

Working Hard / Museum of Hartlepool


企業が老人を雇いにくい理由の一つは最低賃金・最低時給」
最低時給が規定されているなら、単純作業は体力のある若者にやらせる方が絶対に良い。
そこで対策として、高齢者は最低時給を減らすなどの手を設ける。
ビルの管理人など激しい動きが必要ない仕事であれば、
高齢者二人・三人で一人分の給与にするという手もある。
年金制度を廃止せずに給付額を少なくすれば、高齢者も安い手当で簡単な仕事を
やることで、お互い意味のあるしくみになるだろう。
この仕組みが既存の仕事を奪わず、いかに新規の需要を作れるかの制度設計がキモになるから、
そこは仕組みを作る側の腕の見せ所、という所だろうか。

「死ぬ自由」

あと、これを書くとものすごい批判があるのは分かっているが、
年金の停止や減額を考える上で避けて通れないのが「死ぬ自由」じゃないだろうか。
人類の古くからの夢は「不老不死」だが、医学の進歩によって寿命は急激に伸びた。
現在は「不老」が進歩する前に「不死」だけが進歩した状態に見える。
銃夢「エンド・ジョイ(公衆自殺機械)」が「夢の装置」として出てくる場面があったが、
本当に不老不死が実現したときには、自らの電源を切る仕組みが本当に必要なんじゃないか。
銃夢(GUNNM) 1 (ヤングジャンプコミックス)


別に「老人は死ね」と言っているわけではないし、言うつもりは毛頭無い。
しかし「60代の娘が、90代の母親の介護に疲れ殺害」というニュースを見ると、
そこにどんな解決策があったのだろうかと思ってしまう。
こんな話は、少し検索してもたくさん出てくる。
・リンク → 「孝行息子が母親を殺した訳は…秋田老老介護殺人」:イザ!
・リンク → 介護疲れで母親殺害、51歳男を逮捕…神戸−アトム法律事務所
・リンク → 介護に疲れ、母親殺害☆国家とは何ぞや?公僕とは何ぞや?−天邪鬼のひとり言
既に介護する側が老人となっている老老介護が始まっている。
介護される側が「もうこれ以上手を患わせたくない」と思い、
介護する側が「親が体中に管を差されて延命処置をされるのは忍びない」と思っても、
それを避ける手段が「殺人」しかない、という結論になるのはどうなんだろうか。

Monitoring oxygen and blood pressure / quinn.anya


もちろん実際には様々な救済策があるはずで、介護に疲れた彼ら・彼女らにはそれを知る・調べる
余裕が無かったのだろうとは思うけど、それを全部保障していくことが、本当に正しい姿なんだろうか。
30代の健康な自分には想像も付かないが、90歳を過ぎて自分にボケが出て、家族に迷惑をかけていると分かったとき、
自分の望むタイミングで生命を絶つことが出来るシステムって、必要性があるんじゃないだろうか。

自殺しなくなった高齢者

「日本人の自殺は多すぎる」という話が良く出るので、統計資料を確認してみた。
以下のリンクに、時代別・年齢別の自殺数の統計がある。(厚生労働省のページ)
・リンク → 年齢別にみた自殺
・リンク → 第1章|4 年齢階級別の自殺の状況−内閣府
高齢者の自殺は増加しているが、高齢者の絶対数が増えているので、割合としては低下。

中高年(30〜64歳)の自殺者数は、昭和58年に急増した後、平成10年に再び急増し、以後、高い水準のまま推移している(第1-6図、第1-9図)。
平成10年は、50歳代の男性の増加が著しい。また、中高年の自殺死亡率をみると、自殺者数と同様に高い水準が続いている。女性は、ほぼ横ばい傾向にある。

そして自殺の原因としては
・リンク → 第1章|8 原因・動機別の自殺の状況−内閣府
ダントツで「健康問題」だったが、近年は「経済・生活問題」が急増している。
つまり以前は「もう治らない病気なら自分で命を絶つ」が主な自殺原因だったのに対し、
最近は「もう食っていけないし、死ぬしかない」というカネがらみが増えているということか。
もちろん、そんな簡単にまとめて良い話ではないだろうけど。


とにかくこの「経済・生活問題」は確かに異常だから、解消しなければいけない問題だろうし、
中高年層の自殺は止めなければいけない、という意見には全面的に賛成する。
しかし、それを高齢者にも本当にそのまま適用して良いのか?


年金や介護や福祉の話は、最終的には日本という国の幸福が最大化するシステムの落としどころを探す作業じゃないかと思う。
たくさんの高齢者が幸せになるなら、中高年は多少の犠牲を払ってでもお金を出しましょうというのが元々だろうが、
それが結果として日本を疲弊させて、中高年の命を奪うのならその仕組みごと考えなければいけない。
そのときに考えなければいけないのは、例えば、果たして「延命処置をしてでも生きること」が本当に幸せを最大化しているか。
最近話題になったエントリでこんなのがあった。
・リンク → 欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか:今こそ考えよう 高齢者の終末期医療:ヨミドクター(読売新聞)
ソースまであたっていないので、「本当に欧州には寝たきり老人がいないのか」
「本当に欧州では胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的として行っていないのか」
といった数字の検証はしていない。
ただ、こういう考え方を早く持ってくることが、高齢者だけでなく、日本全体で必要なんだろうなと思う。

「コロリ」と死にたい高齢者達

なんでこういうことを突然書いたかというと、妻の看病で介護のつらさを実感したから。
幼児がいて、働いていたと言うのはあるけど、人一人を素人が介護するのは本当に大変。
健康な自分ですらそうなんだから、高齢になって自分一人で介護しているときの苦労は計り知れないし、
負担をかける側の心労は、更に計り知れない。
これが治る病であれば良いが、高齢でのボケや寝たきりは治らない。
安易に死に逃げることは良くないが、極端に延命の能力が高くなった今の医療に対しては、
「いかに死ぬか」をいい加減真っ正面から考えなければいけないのでは、と思った。


実際に高齢者の間で「PPK(ピンピンコロリ)」という言葉が使われている。
・リンク → 光明功徳佛 ピンピンコロリ地蔵
・リンク → ピンピンコロリとは
「ピンピン生きて、コロリと死にたい」の略で、
「寝たきりや要介護にならず、健康に生きてポックリ逝きたい」ということを表しているそう。
提唱は1980年、1983年には日本体育学会で発表されている。


実際、ボケが始まったら「あと一ヶ月で死ぬからね」と準備を進めれば、身辺整理も出来るし、
みんなに見送られて幸せな人生だったと最期を迎えられる人も多いんじゃないか。
現代にこそ、ドクターキリコは求められているのかもしれない。
ブラック・ジャック(1) (手塚治虫文庫全集 BT 58)
※「ドクターキリコ」はブラックジャックに出てくる「死の医師」。助かる見込みのない末期患者などに対し、
 安楽死を行い、ブラックジャックと激しく対立する。