ペンとサイコロ -pen and dice- BLOG

ボードゲーム・3Dプリント作品・3DCG制作を行う「ペンとサイコロ」のブログです。公式サイトはこちら→http://penanddice.webcrow.jp/

冠婚葬祭と親戚づきあい

親族に不幸があり、雪の残る山中に車で6時間をかけて出かけていました。

葬儀は親族中心のこぢんまりしたもので、齢九十を超えて長く苦しむことも無く亡くなったため、悲壮感も少ない葬儀でした。

f:id:roy:20150326163116j:plain向かう途中での一枚

 

さて、葬儀ともなれば当然親族一同が集まることになります。

今回は通夜の不寝番も務めさせて頂きました。成年男子(30代~40代)四名に、10歳の子供が一名という構成。

10歳の子は、言ってみれば「大人の練習」というところでしょうか。 

葬儀の中で言うのも不謹慎な話ではありますが、こうした「背伸びをする体験」というのもいいもんだな、と今回感じました。

いつもなら同世代に囲まれて生活している中で、たまに大人の中に放り込まれる。

明確に特別な機会、と分かる冠婚葬祭ならではの一幕です。

 

元々「ボードゲームの紹介をして欲しい」と言われていたので、不寝番用ではありませんでしたが、色々ゲームを持ってきていました。

そこでなぜか不寝番をしながらのゲーム大会に。

子供にとっては親公認でこんな夜遅くにゲームするのも始めてでしょう。そういう「悪い遊び」は楽しいもんです。

私の制作ゲームも遊びましたが、その中でも「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」では「最後まで遊郭に残ることを目指す、エロい大人がテーマのゲームです」と、敢えて子供が恥ずかしがるぐらいド直球に説明しました。

f:id:roy:20141018001300j:plain三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」

少子化核家族化で冠婚葬祭に出る機会も減っています。

以前に読んだ記事で「親戚で集まったときに悪いことを教えてくれる『おじさん』が減った」という意見があり、そんなもんかと思いましたが、私が今回感じたのと同じような感覚かもしれません。

たまにはそういう大人に混じって、背伸びをする体験もいいと思います。

いつもだとちょっと困りますが。

 

不寝番の証拠、線香台の前でのゲーム写真です。

撮影は日付を回った後、かな。

子供が一番元気だったりします。

f:id:roy:20150403231122j:plainコロポックル 見~つけた!」プレイ写真

 

うちの娘は延々親戚の女の子と「スピードカップ」で遊んでました。

f:id:roy:20150327174700j:plain「スピードカップ」プレイ写真

えぇ、延々。

通夜から葬式まで、合計何時間だろう・・・

100:0で勝てなくてもへこたれずにやり続ける4歳児も凄いが、付き合う7歳児も凄い。

最終的には勝率6:4ぐらいまで行っていたそうです。

子供の成長、本当ハンパない。

うちの娘ぐらい小さいと、葬式はひたすらつまらないイベントでしょう。

最近は写真のような「キッズルーム」が用意されていて、とりあえずその中では遊んで騒げるようになっています。有り難い。

今回は持って行ったゲームがハマって本当に助かりました。

 

帰りはゆっくり休憩を取りながら、車で八時間。

とにかく疲れましたが親族と顔を合わせて、良い経験でした。

学童保育にゲームを寄付しました

小学生の娘を、放課後は学童保育に預けています。

学童保育。小学校に隣接・あるいは施設内にある、生徒(学童)のための保育施設です。

運営は学校ではなく、施設により公営なのか民営なのかから違ったりと色々複雑。

妻は働いていませんが、病気で日中ほとんど寝込んでいるのが預けている理由です。

そんな学童保育ですが、ご多分に漏れず運営は厳しいそうです。

 

そこで先日、新作コロポックル 見~つけた!」を寄付させて頂きました。

f:id:roy:20150305004106j:plainコロポックル 見~つけた!」

前のゲームはちょっと小学生向けではなかったので、今回はじめての寄付です。(何せ遊郭が舞台ですから)

タンスの肥やしにならないかという不安もありましたが、しばらくして訪問したところ、嬉しい反応がありました。

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ゲームと教育、いや、ゲームで教育

アナログゲームは教育に良い」という単純な考え方は否定するけど、「教育に良いゲームがある」というのを否定するつもりはない。

囲碁や将棋は頭の体操、論理の構築の練習には良いだろうし、パズルを解くことも、人と遊ぶこともいいことだと思う。

うちの子がゲームでこんなに変わりました

ゲームの中でも、アナログゲームの良い影響といえば一番に来るのは「負ける練習をすること」だと思う。

テレビゲームも負ければ悔しいが、ゲームというシステム相手に負けることと、目の前にいる相手に負けるのとでは、悔しさが全く違う。(「パンデミック」などの協力型ゲームは除く)

それがサイコロ運じゃなく、考えた結果なら尚更。

テレビゲームが無機質だとは思わないが、怒る相手が「テレビの向こう側」では怒りがぶつけられないが、目の前の相手に負ければ子供はすぐ不機嫌になって怒りをぶつけられる。そうして場の雰囲気をぶち壊して、怒られて、そんな経験を乗り越えて、「負けても楽しめるようになる」。これって結構大事な経験だと思う。

足し算は、ゲームで覚えた

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