障害者と遊び
淡々と書かれた日常が、深く突き刺さることがある。
そんな一冊でした。
身体障がい者スポーツ完全ガイド―パラリンピアンからのメッセージ
- 作者: 土田和歌子
- 出版社/メーカー: 東邦出版
- 発売日: 2010/05/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 19回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
日本で唯一の「女性プロ車椅子マラソン走者」土田和歌子さんの本。
解説書でもあり、インタビュー本でもあります。
「”お世話をしよう”という気持ちはいらない」(中略)お世話をされてしまったら、私たちは弱者になってしまいます。みなさんは驚かれるかもしれませんが、障がい者は本当に、たいていのことがひとりでできるのです。
障がい者は”かわいそう”なのではありません。もちろん不便はありますし、誰にでも悩む時期はあるでしょう。でも決して特別な存在ではなく、たまたま先天的に、あるいは事故や病気で受障した普通の人間です。
(本書 p132)
障害者向けスポーツの紹介本ですが、それを通して見えるものを様々な角度で丁寧に書かれています。
障害者には「こんなスポーツがありますよ、こうすれば触れることができますよ」という紹介、健常者には「障害者スポーツは面白いですよ」「障害者へのサポートはこうしてもらえると嬉しいです」というお話し。
サポート とは
本書では「サポート」という言葉がひんぱんに出てきて、どんなサポートが必要か、嬉しいかが書かれています。
この本が読みやすいのは、それが超一流のアスリートの言葉であること。
どんなスポーツであっても、たった一人で技術を高めていけるわけではありません。
(本書 p124)
国際クラスのアスリートなら、食事の管理からマッサージ、運転手、服から靴までチームとなってサポートを行うのが当たり前です。
彼女もパラリンピック金メダリストとなるための練習を行い、カスタムの車椅子を毎年更新しているそうです。
こうしたアスリートへのサポートは、障害者でも健常者でも同じものだと書かれています。
本書では沢山の人のインタビューが載せられています。
その中に盲人マラソンの伴走者をされた安田さんのインタビューがありました。
盲人マラソンでは、ランナーに走る方向や危険を知らせるために伴走する場合があります。伴走者はロープを握り50cm以内にいなければいけない、走者を引っ張ってはいけないなどの決まりがあります。
Boston Marathon Blind Runner / Stewart Dawson
(前略)わかってきたことは、盲人マラソンというのは伴走者も一緒に苦しんだり挑戦したりする競技ではないということ。競技者はあくまで主たるランナーである視覚障害者であって、伴走者は黒子に徹しなくてはいけません。もしパートナーが自己新記録を出したら、自分が自己新を出したときより嬉しく感じられてきます。
(本書 p128)
柔道やレスリングの試合で、選手よりも監督やトレーナーが大喜びしていることがありますが、伴走者もそうした一人であると。
スポーツとして捉えれば当たり前の話ですが、日常においても障害者と健常者の触れあい方は同じなのでしょう。
盲人マラソンで、伴走者は走者より速く走る能力が必須です。日常生活でも健常者が得意な部分をサポートすればいい、そういうことなのでしょう。
障害者スポーツをやってみたい
この本では障害者スポーツが沢山紹介されています。
筆者の土田さんがされている車椅子マラソンは、平均時速30km以上、下り坂では時速70kmぐらいまで出るそうです。
Going for Speed / chuckwaters83
しかも写真のように車高が低い!体感速度は普通の自転車の比ではないでしょう。
これは「やってみたい」。
この本の面白いのは、そうして障害者スポーツを「やってみたい」と思わせてくれる所だと思います。
というか、車椅子にGoPro付けたらメチャメチャ面白そう。
障害者スポーツと言えば「リアル」というマンガもそうです。
作中で車椅子バスケットボールチームが健常者チームと試合するシーンがあります。
「車椅子なんて」とバカにする健常者チームに、猛スピードで突進→急ブレーキという動きでビビらせ、勝つ。あれも読んでいて「格好いい!」と思わせてくれました。
Blind Football Normalization Cup at Omiya JAPAN / Norio.NAKAYAMA
Blind Football Normalization Cup at Omiya JAPAN / Norio.NAKAYAMA
個人的に、特にやってみたい競技は「ブラインドサッカー」。
鈴の入ったボールを目隠しして蹴る、というサッカー。キーパーと「コーラー」という健常者(晴眼者)がルール上必要で、それぞれが守備・攻撃の指示を出します。
やっぱりパラリンピックは無くなればいい
以前にも書きましたが、やっぱりパラリンピックは無くなるのが理想だと思います。
「パラリンピック競技が要らない」のではなく、「オリンピックに合併すればいい」という意味です。
例えば上の「ブラインドサッカー」が正式競技になればどうなるか。
世界の一流選手が、サッカーに出ても、ブラインドサッカーに出てもいいわけです。
ではその時、サッカー選手は視覚障害者に勝てるか?
フィジカルは当然サッカー選手の方が上でしょう。
でも、音の情報を探るのは視覚障害者の方が上です。
その二人が戦うとどうなるか?
国際大会は視覚障害者しか出られないそうですが、むしろその制限を取っ払って、視覚障害者が晴眼者を負かせば面白いのにと思います。
パラリンピックでは障害の等級に応じて細かくランクわけがされており、オリンピックと完全には混ぜられません。
たとえば陸上では視覚・聴覚・知的・脳性麻痺・機能障害など30近くのクラスがあるとか。(本書より)
しかし逆に考えれば、これらに「障害無し」というクラス(現行のオリンピック枠)を加える、という考え方ではどうかと思います。
そして、その更に上位に「無制限」というランクを設けると。
ここではサポーターなどを使っても構いません。
(南アフリカのピストリウス選手の義足がルール違反か、という議論がありましたがここではOKという考え方です。そういえば彼、捕まっちゃいましたね)
障害者スポーツを、日常に
障害者スポーツを取り巻く環境は相変わらず決して良いものではないそうです。
認知度が低い
問題の一番は、やはり認知度が低いということ。
障害者スポーツを障害者「専用」スポーツとせず、上に書いたように健常者にも門戸を広げられればメジャーになり、お金も流れないかと思います。
組織の連携
管轄する組織も問題です。
オリンピックは文部科学省、パラリンピックは厚生労働省など、「障害者スポーツ」を扱う組織が小さく独立していたり、福祉の一環としか捉えられていないと。
本書では、障害者の自転車競技がUCI(国際自転車競技連合)に組み込まれたことが紹介されています。
これにより障害者自転車競技は「障害者スポーツ」から「自転車競技の一カテゴリ」になったと。
実際自動車レースの盛んな欧州では、プロの障害者自転車プレイヤーが複数いるそうです。
そうして適切な組織で運営費を稼ぎ、振興を進めれば、仕組みとしてもうまく回ると思います。
障害者の減少
面白いなと思ったのはこれです。
日本では身体障害者の数が減っているそうです。
戦争が終わり、交通事故の数も減ったことで、後天的な障害者の数は減少傾向にあるそうで、それ自体はめでたい話ですが、それで競技人口のパイが減るのは皮肉な話です。
ボードゲームと障害者
障害者向けのスポーツのルールや工夫を知りたくて手に取りましたが、当初の目的を超えて読み応えのある一冊でした。
普通に生活できるとはいえ、障害のために楽しめない娯楽は存在します。
ボードゲーム制作で色盲・色弱は話題に上がりますが、それ以外はあまり取り上げられません。
実際、全盲の方ほとんどのボードゲームが遊べないと思いますがどうでしょうか。
拙作「コロポックル 見~つけた!」では当初全盲者でも遊んで頂けることを目指しましたが、カードが必要になり、実現できませんでした。
「手渡し」「声かけ」なら、全盲でも遊べるとデザインしました。
個人制作では立体物がコスト的に厳しく、カードなど印刷物に頼りがちです。
しかしそれは視覚情報に頼る事になり、遊ぶ対象を制限することはないでしょうか。
ボードゲームは「非公開情報」という「不親切な設計」が面白さを作っている部分があり、障害者へのサポートが難しい場合があります。
「このゲームは視覚障害者向けでない」と割り切るのも一つの考え方でしょうが、少なくとも「考えてもいなかった」は避けたいと思います。
本やマンガ、テレビゲームなどに比べて、ボードゲームのデザインは自由です。
この時代にボードゲームというアナログな、前時代的なものを作るからには、「それでなければ実現できない事」を盛りこみたいと思っています。その一つの視点として、他のゲーム制作者の方も参考になれば幸いです。