江戸時代の江戸の町は世界最初の百万人都市になり、その人口を維持するためにリサイクルが発達した社会だったというのは有名な話。
有名なのは着物や排泄物で、排泄物は大と小に分けて回収されて肥料になり、長屋の主な利益はその売却代金であったと言われるほど。(ちなみに売却代金が誰の懐に入ったかは地方によって違ったりする)
(江戸の屎尿事情に関する本はたくさんありますが、私が持っているのはこれ)
着物も古着を販売する市があちこちにあったとされ、例えば日本橋富沢町では「魚河岸に次ぐほどの繁盛ぶり(江戸繁盛記1832)」、神田川沿いの柳原では「江戸名所図会 柳原堤」でも古着屋が軒を連ねている様子が確認でき、明治になって100件ほどの古着屋が並んだとされています。使い古した古着も継ぎを当ててさらに安く売られ、最後は雑巾になったので廃棄はほとんど出なかったそうで、それだけの人口がいたにしては当時の着物はあまり残っていないそうです。
実際、長屋の設計を見ていても、ゴミ収集車どころか公的なゴミ処理システムも無かったはずなのに住んでいた人の数に対してゴミを捨てる芥場が小さい。それだけゴミの出ない生活をしていたのだと分かります。
(江戸の裏長屋、38軒が軒を並べるのに芥場は赤丸の2か所だけ)
実際当時ヒットした書籍でも「XXを直す方法集」みたいなものがあり、色々なものを使って壊れたものを直しながら使い続けたことを感じさせます。