温暖化対策とか人前で言えるようになりましたね。
こんな年の瀬にこんな後ろ向きの話。
一昔前に「地球環境が危ないから節電しよう」なんて言った所で
変人扱いされて終わりだった気がするんですが、
気がつくとそれが「あら、エコな人、抱いて」に変わっている気がするのはオレの気のせいでしょうか。
「地球が温暖化していることは科学的に検証されていない」などと
言い張っていたアメリカがハリケーンカトリーナでいい加減問題であることに気づき、
そのアメリカに追従して温暖化対策の数値目標策定に反対していたオーストラリアも
相次ぐ自然災害で「エコじゃない首相は辞めろ」と政権交代まで行く時代になりました。
とはいえ、どこまで本気で取り組んでいるかは甚だ怪しいところ。
結局ポーズであるとか、新しい政治の道具というようにしか見えません。
結局各国がどうして、どういう目標で、なんて細かい話を始めると長くなりますが、
世界世論がこうなったのはゴア元副大統領の映画が大きなインパクトになったのはもちろんのこと、
温暖化にかかわる指標を「二酸化炭素の排出量」という単一指標に決めてしまったことが大きい気がします。
曰く
- ガソリン1lのCO2排出量は2.3kg
- 電気1kWhはCO2に換算すると0.555kg
なんだそりゃって感じもしますが、誤差はあれこう計算すると分かりやすいのは事実。
こういうことを思いつく人、というのが一番すばらしいと思います。
で、どうする?
で、今後温暖化対策というのはどう進めていけばいいか。
温暖化対策、といっても基本的には「無駄な消費をなくす」これが一番です。
無駄な消費、というのは使わないものを買うというだけでなく、無駄な電力とか暖房とかも含めて。
でも「どれが無駄なのか」ということを知ることがそもそも難しい。
第一、それで生活が極端に不便になるならそこまでやる必要があるのかも考えないといけない。
たとえば自家用車をなくしてすべて公共交通機関にするとエコなのは間違いない。
でも田舎に住んでたりすると実際問題自家用車がないとまともに生活できない、とかそんな感じ。
そう考えると結局一番必要なのは「教育」ということに落ち着くのかな、と思います。
教育、というのは別に子供への教育というだけではなく、
全世界のすべての人に知識を持ってもらうことが理想、ということ。
それが結局「エコっぽい」というポーズだけでなく、本当に環境に配慮した生活につながっていくんじゃないでしょうか。
ちなみにオレは会社に「マイ箸」を持っていってます。
まぁ、割り箸って勿体無いよなぁという意識があったのも一つ。
でも一番のきっかけはある記事で「中国の割り箸がやばいんじゃね?」という趣旨のものがあったから。
割り箸って実はほとんどが中国産。まぁ単価も安いしね。別段驚くことじゃない。
ところが「日本向けは『色が真っ白でないと駄目』とうるさいので非常に厳しく漂白している」とのこと。
うわぁ、さもありなん。
そしてどんな薬品使ってるか分かったもんじゃない。
つぅわけで、「怖いので、結果、エコ」となりました。
まぁこれは特殊としても、知識を持つことで結果行動が変わるということがあるんじゃないかな、と思うわけですよ。