役に立たないものを作ろう!
「ヘボコン」の常連でもあるギャル電さんが記事になっていたので拝見。
ぱっと見はふざけた物言いに見えて、いちいち本質を突いているなぁと感心しきりでした。
ていうかパワーワード感強い。
きょうこさん ヤンキーと虫は光り物が好きなので、クラブに行って光っているとモテるんですよ
藤原 聞き馴染みのない慣用句が出てきましたね
まおさん 個人で使用する物に関しては、バッテリーに繋げて光らせるっていうバイブスでやってるんで
藤原 バイブス
で、その中で「ごめんなさい」だったのが例えばこちら。
まおさん 電子工作警察がいるんですよ。その人たちが電子工作の敷居を高くしちゃっているんじゃないかなと感じます
きょうこさん 私たちも『そんな繋げ方していたら壊れるよ』とか言われることが多いんです。 もちろん、安全面はもちろん大事ですが、個人で楽しむ分にはそこまでキッチリ作ろうとしなくてもいいんじゃないかなって思っています。
すいません・・・ちゃんとできてないと「あぶないよ」と言ってしまうんですが、「自分の趣味でやる限りは『感電上等!』」で、確かに構わないんですよね。
「危ないよ」はまだ良いとして、「危ないからダメ」とか否定するようなことは確かに言わなくて良いよなと思いました。
反省しきり。
自分がどうかと言われれば、できていないです。
ごめんなさい。
子供の創造性と「そうじゃない」使い方
たとえば、文部科学省が作った「プログラミン」という子供向けプログラミング学習サイトがあります。
用意されたイラストなどを組合わせて配置し、移動やタイマー、条件分岐やキー入力などのアイコンでプログラミングができるというWEBサービスなんですが、娘に勧めたら意外に楽しんで勝手に触っていました。
「お、これでプログラミングの勉強を自分でやるかな?」と思って放っていたら、しばらくして「できたよ」と持ってきたのは「アニメ」。
中身を見ると移動・拡大縮小・回転・タイマーをひたすら並べた力作で、手間は掛かっているけどプログラミング的な機能は使っていないというもの。
じゃあ娘が条件分岐やFor-Loop文を理解していないかというと、これが結構理解しているんです。
グリコのお菓子を並べてプログラムしてパズルを「グリコード」というアプリがあるんですが、それでは見事に条件分岐も繰り返し動作もできているので。
その時にはプログラムも圧縮もできていたので、プログラマーの言う「美しいコード」を考える能力もある。
まぁ、問題を解くに連れてお菓子を食べてしまって、後半になるほど使えるお菓子の数(コマンド数)が減ったからという事情があったんですけど。
だから、「プログラミン」でひたすら長いコードでダラダラと、しかもプログラムではなく「アニメ」を作っているのを見て「ふ~ん」という反応をしてしまったわけです。
「いや、凄いけどそうじゃないだろ」と。
でも、それって違うわけですよね。
娘としては「アニメが作れるツール」としてプログラミンを利用していて、それは本来のサイトの目指すところとは違っているかも知れないけど、悪い訳ではありません。
友人が、そのアニメを「可愛い!」と褒めていて、「あ、そうか」と反省した事を、上の記事を読んで思い出しました。
作った事は素直に凄いし、これをアニメ制作ツールとして使う発想や、それを作った努力は大したもんだし、できた物を褒めてあげれば良かったんだと。
無駄な物を、つくれ
まおさん あと思うのは、日本の電子工作の入門書って私たちのようなギャルが楽しくできる作例が少ないんですよ
きょうこさん だいたいLチカ(*LEDを点滅させるプログラム)から始まって、次は温度センサーとかに行くじゃないですか。自分が書いたプログラムで物が動く喜びは感じられるんですけど……
藤原 めっちゃ分かります。LEDを点滅できたけど、この後私は一体どうすればいいの……。ってなりましたもん
きょうこさん 一気に投げ出される感じがありますよね
まおさん さっきも触れましたが、海外だと『光るジャケット』などワクワクできる作例のハウツーが沢山あるんですけど、日本にはあまりないんですよね。だから、ギャル電がそうなりたいなって思っています
電子工作というと日本では「実用的なもの」が用途として出てきますが、別に趣味で作っている以上、役に立つ必要は無いわけですよね。
ラジオでもセンサーライトでも、ちゃんとした物が欲しければ今時は安く買えるわけですから。
むしろ技術スキルが「LEDを光らせる事しかできない」と低い中で、「いかに楽しめるか」という別ベクトルのスキルが高いとも言えます。
先日の「神戸ヘボコン」では娘は自作のラジコンで出場しましたが、組み立てミス(おそらくは配線の接触不良)でアーム部分が動きませんでした。
あれだって組み立て済みのラジコンを買えばちゃんと動いたでしょうし、私が直しても良かったんですが、「アームがうまく動かない」という悪い部分ではなく、「自分で作った物が動く!」「手伝って貰わずに作れた!」という良い部分に目を向けたから楽しんでいたわけです。
そういう目が必要だよな、というのも「神戸ヘボコン」に参加したからこその発見でした。
お金や技術の有無とは別に「楽しみを見つける能力」はあるし、大事だよなと改めて思った次第です。
ボードゲームのベテランプレイヤーってそういう人が多いんですが、どんなゲームでも自分の土俵に持ち込んで、面白く楽しんでしまう。
その人と遊ぶとどんなゲームも名作に感じてしまうという人です。
(で、その時面白かったゲームを買うと後で後悔したりするんですが)
私のやってる事なんて、そもそもがボードゲームなんて「今の時代にわざわざ紙のゲーム」をやっている上に、ゲーム自体は本質的には「役に立たない物」な訳です。
でも楽しいから作っているし、遊んでくれた人が喜んでくれればさらに嬉しい。そのモチベーションで、こんなクソ非効率な事をやっているわけです。
「役に立たないから不要」「意味がないから不要」ではなく、「やりたいからやる」「楽しいからやる」そういう勢いだけのモチベーションって大事だよなと思うわけです。
無駄の極地と言えば、ついにクラタスが対戦したそうですね。
「汎用巨大人型兵器」に意味はありませんが、そこにロマンを求める人は沢山いるわけで、だからこそお台場にはガンダムが立つわけです。
きょうこさんの「不良たちに電子工作を流行らせたい」という思いが実現して、「デコ半田ごて」が発売される世の中になれば面白いと思います。