この世界の片隅の、我が家
「この世界の片隅に」。
上映期間が一週間しかなく、娘の学童保育の会議やらイベントやらで潰れて見に行けないかと思っていたら、急遽イベントが中止になったので劇場で見ることが出来た。
友人夫婦が原作の大ファンで本人は原作初版本に、舞台である呉でのイベントに参加してサインを貰っているという猛者。
もちろん本作品のクラウドファンディングでは出資もしていた。(名前は見つけられなかったが、ちゃんとリストにあったそう)
映画の感想は、良かった。
いや、良かったというより、凄まじかった。
従前から話題になっていた考証の凄まじさであるとかはもちろんで、原作はしっかりと読んでいるし「これだけ話題になっているんだからここはまぁ、良いんだろう」とか、色々とハードルは上がらざるを得ない環境で映画館に臨むことになった。
それでも、その内容はその結果を上回ってきた。
原作はそもそもが、凄い。
軍港 呉 を舞台に、作中の日付は粛々と昭和19年、20年と一日、一月と進んでいく。主人公すずの出身は広島。
そう聞けば、誰もが原爆を思い描くし、実際に話はそこに絡んで進んでいくんだけども、市井の日々に米軍の最新兵器の情報も意識も無い。
ただ粛々と流れる日々を、とにかく徹底的に丁寧に描くのがこの作品だった。
「終戦前夜の悲惨な生活」というレッテルや先入観に対して、「実際はその中にも笑いはあるし、大変な中に芽生える感情もある」という描写が原作者こうの史代さんのマンガの、いつもながら素晴らしいところで、それは当然映画で良く描かれていた。
(こうの史代さんを知ったのはこの作品。「良さ」は共通している)
ただ、マンガと映画で違う印象を持ったのは、映画はそれに加えて「疲弊」を良く描いていたと思う。
子育て経験のある方なら多くの方が経験があるんじゃないかと思うが、いつ起こされるかも分からない環境で、そこに生死が絡んでいるととにかく精神を食われる。
それがいつしか、「この空襲警報が正しければ自分は死ぬかもしれないが、それが外れることを祈って、今は休みたい」という思考になっていく。
この描写が、自分の、我が家の一番辛かった日々を彷彿とさせた。
妻の病気が一番酷かったとき。
一歩間違わなくても死と隣り合わせで、発作的に外に飛び出す妻を止めつつ生まれたばかりの娘を看て、朝になれば会社に行って、家に帰ると家族が生きていることにホッとする。
その中で、今助けなければ妻が死ぬかもしれないという場面の中で、「もう、眠いから、寝る」と、子供を見ながら寝たことが、ある。
結果として、運良く、本当に運良く、妻も必死に自分を押さえ込んで、そうして今の我が家がある。
だから、今の我が家があるのは、二匹の猫も含めた家族一人一人のお陰と、少なからずの運があると思っている。
「この世界の片隅に」は、そうした「運」でしかない生死の結果と、その中で必死に明るく生きようとする一人一人の姿があった。
この映画には、小学生の娘を、ほとんど無理矢理連れて行った。
娘には難しいだろうと思ったし、楽しくもないだろうと思った。
案の定、上映の場には小学生どころか、中学生・高校生もいなかったと思う。
娘は映画がつまらないと「映画が長い」と文句を言い出すのだが、後半は愚図って大変だった。
それでも、この映画を見せておきたかった。
戦争の悲惨さがどうだとか、戦争反対とか、これを見て考えろとか言うつもりはない。
娘には意味の分からないところが多かったろうが、それに対して自分の意見を付けて解説するつもりもない。
文句は垂れつつ、娘は大声で笑っていた部分もあったし、怖がっていた部分もあった。
親が子供に対して生き方や人生観を強要するつもりはないし、出来ないと思っている。
でも、いくつか、理由は分からないなりに傷は付けられるのではないかと思っている。
何年後か、何十年後かに、この映画の一場面を、セリフを思い出して、じっくり考えることがあれば。
それは自分の中では小学生の頃、なぜか家に転がっていた「火の鳥」のワイド版を何度も、ボロボロになるまで読んだ記憶と繋がっている。
「この世界の片隅に」。あの映画の中の浮浪児も、空襲前には家族がいて、裕福な家庭だったのかもしれない。
今の生活は便利でしっかり管理されていて、漢字が書けなくても変換すればパチンと出てくるし、料理が出来なくてもコンビニで買えばなんとかなる。
でも原爆一つで、地震一つで、ゴジラ一匹でこの生活は根底からひっくり返るかもしれない。その時の生活力を、判断力を日々培っているか。
親としてはそれを「子供に読み取って欲しいこと」と感じたが、娘の感じ方は、おそらくまた別だろう。
映画は間違いなく名作で、映像も音楽も声優も演出も、全てがしっくりと噛み合っていた。
主演の のん さんは本当に素晴らしい選択だったと思う。
ただ、残念ながら妻はこの映画を見られない。
感受性の強すぎる妻が映画を見たら、おそらく数日は寝込むだろう。
なにせ娘の学校の教材で戦争の話を聞くだけで、過呼吸を起こして動けなくなるほどなので。(授業参観でも早々に気分が悪くなって退散したそう)
この映画には確実に希望が詰まっていると思っているが、パンドラの箱にはあらゆる災厄が詰まってもいる。
この映画が誰にでも分かる大ヒットとはならないだろう。
分かりやすい映画ではないし、薬の前の毒を望まない人が多いのも至極当然だと思う。
でも、名作は名作として、売上とは別に評価してあげて欲しいなと思う。
そしてこの世界の片隅に、自分と、自分の周りの人達が居る凄さに思いを馳せられたら、それが一番幸せなことじゃないか、と願って止まない。