ギャンブルに向いたゲームについての分析と考察
ゲームとギャンブルの境目は難しい。
ゲームの勝敗にお金を掛ければなんでもギャンブルになってしまう。
実際、古いボドゲには「元々はギャンブルとして親しまれ」なんて由来の物がたくさんある。
日本で言えば花札がそうだろう。
任天堂が元々花札の会社で、今でも花札や囲碁を製造しているのは有名な話。
任天堂がゲーム会社として成長した礎に、「枯れた技術の水平思考」という言葉で有名な横井軍平氏がいるが、彼の入社直後の仕事は「花札の糊を混ぜる機械作り」だっらしい。(参照は下記の本。この本は物凄く面白いです)
- 作者: 牧野 武文
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2010/06/11
- メディア: 単行本
- 購入: 13人 クリック: 159回
- この商品を含むブログ (42件) を見る
糊が剥がれると大クレームになるから、均一に混ぜるのが重要だと。
文中でははっきり書かれていないが、要はまぁ、賭博に使われていたから不良を出すと筋モンが殴り込んでくるということらしい。
ギャンブルは(公営を除き)犯罪だが、実際にカジノで使われるゲームは洗練されている。
そこでギャンブルに向いたゲームの分析をやってみる。それが一般のゲーム制作にも役立つだろう。
運の要素は大きく
ギャンブルで大事なのは「運」だ。
運の要素が少ないほど、プレイヤーの腕で勝敗が左右される。
それではギャンブルにならない。
「凄腕のギャンブラー」なんて言葉があるが、腕でなんとかできる部分はギャンブルでは限り無く少なくなるよう設計されている。
だからこそ初心者も一攫千金を夢見れる。
逆に言えば囲碁・将棋等(完全情報ゲーム)はギャンブルに向かない。
腕が100%勝敗を決めるからだ。
「賭け将棋」は存在するが隆盛せず、凄腕の将棋打ちはプロ化した。
高度な腕は、プレイするよりも観戦する方が裾野が広がる。格闘技からレース、野球まで、これはプロ化した勝負事に共通のことに見える。もちろんその裏に賭博がつきものなのは古今東西同じ。(それについては今回は取り上げない)
プレイ時間は短く
運の要素があればいいなら、「人生ゲーム」はギャンブルたり得るか?
別にギャンブルにしてもいいだろうが、あまり聞かない。
(バックギャモンは別。日本の古典にある「双六」はバックギャモンに近く、何度も禁止令が出たほど賭博として流行した)
人生ゲームは、プレイ時間が長すぎるからだろう。
ギャンブルの醍醐味は、当然「勝つ」「負ける」という勝負の瞬間。
だからゲーム時間は短い方が良い。
スロット、ブラックジャック、ルーレット。どれも一回のゲーム時間は短い。
日本だとチンチロリンや大小はプレイ時間が短いギャンブルの典型だ。
サイコロを振って、その場で勝負が決まる。
チンチロリンのセット
勝てば嬉しい、負ければもう一回、その短いサイクルのアドレナリン放出が
ギャンブルをギャンブルたらしめ、ダラダラと長く遊ばせる秘訣なのだろう。
一発逆転
ギャンブルには一発逆転要素のあるものが多い。
それが2倍や3倍ではありがたみが薄いし、1000倍では実感がない。
(スロットは別格だが、その分一回のプレイ時間が短い)
どのぐらいが適切か?
ルーレットの最大倍率が36倍、麻雀は基本点1000点(子)に対して親役満48000点。
この辺を参考にすると、35~50倍あたりが基準だろうか。
まとめ : ギャンブルに向いたゲームとは
まとめると「小さな勝敗を重ねて、たまに一発逆転」がギャンブル性の高いゲームと考えられる。
例えば「ごいた」は見事にこの条件を満たしている。
能登で長く遊ばれていたゲームと聞いているが、その駒も「かつては、海が荒れて漁に出ることができないときに一週間くらいかけて作られていた。(Wikipedia)」とあるので、荒天等で閉じ込められた際に延々と遊ばれていたんじゃないだろうか。
このゲームの完成度は素晴らしい。
これを意識すれば何か新しいゲームができないだろうか。
例外 : 一発逆転要素が低い
上に挙げた要素を全て満たさなくても良い。例えば「クク」がある。
見た目はトランプに近いカードゲームだが、とにかくテンポが速く、プレイヤーのできることが「二枚のカードのうち一枚を選ぶ」と極端に少ない。
つまり「選択肢が無く負けるしかない」という状況がひんぱんに発生する。
この辺はギャンブルとして成立する要素を満たしているが、掛け金の倍率が低い。
(一発逆転要素が少ない)
これはブラックジャックにも通じる。(ただしカジノではダブルアップなど倍率変動要素を追加している)
例外 : プレイ時間が長い
また、日本の麻雀はギャンブルとしてはプレイ時間が長い。
中国の麻雀は非常にシンプルで、役が無く上がったもの勝ち。(点数も無いので現金主義。捨て牌は適当に投げるのでその場で鳴かないと紛れてしまう)
こちらは風牌も場もないのでプレイ時間が短いが、倍率は低い。
日本の麻雀は複雑に発展したため時間は掛かるが、一発逆転も可能。
同じベースでギャンブル性を全く両極端に発展させた例として面白い。
デザイナー視点で見た「ギャンブルに向いたゲーム」
では今、上の要素を満たすゲームを作って、受け入れられるか。
ギャンブル性の高いゲームは「短時間の、単純なルールの運ゲー」だから、勝っても負けても一度では満足度が低い。ダラダラとそのゲームを続ける中毒性にこそ魅力があると思うが、そういう売り方は受け入れられるだろうか。
ドイツでも高い評価を得たカナイセイジさんのカードゲーム「ラブレター」は、この条件にほぼ合致している。
少ないカード枚数(全20枚)によるハイスピードな展開。
もちろん単純な運だけのゲームにせず、読み合いの要素を上げ、点数計算もなくしてギャンブル要素は減らしている。
だから一回だけ遊ぶと「何がなにやら分からないうちに終わった」「何もできなかった」という事態が発生するが、このゲームはその救済措置を設けていない。何度も遊ぶように設計されているのだ。この「単純なゲームを何回も遊ぶ」という仕組みは伝統的なゲームを踏襲しようとされたのではないか。
日本の個人制作ゲームのスタイルは世界から見ると珍しく、(個人経営という)資本の弱さから来る「ミニマイズなゲーム」は世界的に注目されてはいるそうだが、単に削るだけで終わっている物も多い。
特にギャンブル要素のウリである「高い倍率」。これが搭載されたゲームを見かけることは少ない。製品企画の目から見るとこれは今のボドゲ業界での「穴」に見える。
この辺を満たすゲームを作れば目新しさがありそう。
とはいえ、複数回遊ばないと良さが分からない、運だけで勝利することを許容するゲームデザインは、駄作と紙一重なので勇気が要る。
やってみたいけど、怖いなぁ。
その意味でもごいたの「8し(麻雀で言うところの天和、その場で100点)」とか、デザインとしてスゲーわ。