キャラクターは「神」になるのか
今年も盛り上がったネット上のエイプリルフールネタ。
・リンク → エイプリルフールに便乗しているサイトまとめ2012年版−GIGAZINE
・リンク → みんな気合い入りすぎ:【超速報】エイプリルフールネタ合戦まとめ 2012年も盛り上がっていこうぜ!−ねとらぼ
休日ということもあり、色々見て楽しんでいたんだが、
以前なら毎年ものすごい手間をかけて作っていた円谷プロの名前がない。
実は外注先の会社が倒産したとかで、今年はやっていないみたい。
who is stronger? / emrank
どうもその辺の話が複雑で、
外注先の会社でこの仕事を担当していたのが円谷英二氏のひ孫にあたる「円谷洋平」氏。
ただ、あくまで仕事を受けただけでこの会社は資本関係はないらしい。
ん〜、ややこしい。
ヒーローは、居るのか?
この日の彼のブログがなかなか含蓄があり、むしろこちらが話題になっていた。
・リンク → やまいきたいですよぼくは。−4月1日にふと話したくなった、とりとめのない話。
円谷家に生まれ、むしろ小さいときから
「ヒーローなんて本当はいないんだよ」
ということを知って生きてきた彼が、仕事をするようになって
自分の父親・祖父の仕事や、その生まれたキャラクターを相手にするようになって
「キャラクターは存在しているんだ」と感じるようになったこと。
それが3.11の震災では、キャラクターを相手とした仕事に携わる中で、
エイプリルフールのネタを苦渋の決断で中止したこと。
そしてそれを乗り越えて、彼がどう感じているか。
本人の文章でこそ、伝わるものもあると思うので、是非最後まで読んで貰いたい。
突然ですが、皆さんはアニメや小説や映画に登場するキャラクターが、“本当に居る”と思いますか?
僕は“本当に居る”と、小さい頃から、心の底から思っています。
何故そう言っているのか。
是非読んでみてください。
神は、いるのか?
精神科に何年も通う家族がいて、
私自身も会社で倒れて心療内科に通い、
娘が生まれ、
転職して、
引っ越しして、
震災では帰宅難民になり、
自分の周りの小さな世界ではあるが、この数年、考えることがたくさんあった。
最近興味があるのは宗教や歴史で、今まで何にも勉強したことがなかった分、
初歩の初歩から本を読み始めている。これが面白い。
キリスト教とイスラムの関係ってそうなってんのか、とか基本的なことも知らなかった分、とても新鮮。
自分の中では、神道的「何でもあり」な世界観が共感が持てるんだが、
3.11は、そうした色々なものを見つめ直すきっかけになった人も多いのだろうと思う。
神道とは
その中で、面白かったのはこちら。
- 作者: 鎌田東二
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棚の端から順に適当に読む中で、出会った。
もちろん新書で概説なので、詳しい人から見れば突っ込みどころ満載かもしれないし、
書いてある内容も大して深くないのかもしれない。
でも、自分としては書いてあることに一々納得がいって、楽しく読めた。
いくつかピックアップするとこんな感じ。
- 神社の本質は「杜」である
- 鎮守の杜こそ神社の本質。だから災害のない所に建てられ、結果避難所としても機能する。(往駒神社の森を見れば確かにそう)
- 仏教もキリスト教も日本に来たら全部神道
- 神道ってよくよく考えると宗教じゃない気もするよね
- これが疑問だった部分をすっきりしてくれた。一神教の言う「宗教」とは明らかに違う。「道」という方が正しいと
- 天皇は現人神かもしれないけど、そういう意味じゃ現人神はもっといるよ
- 「現人神」と「神聖にして不可侵」は元々別の話だと。そう言われれば色々納得。
結局は自然をありのままに受け入れ、共存することが神道という「生き方」で、
ありのままだから良い現象(和魂:にぎみたま)も、悪い現象(荒魂:あらみたま)もあるものだと。
しかも神道では同じ神が両方の性質を持つことも多い。
この辺、「神 VS 悪魔」という二元論的な考え方とは違うと比較される部分。
大体がイスラムは周辺民族・国家と闘うことが成り立ちなのだから、悪いものも受け入れていたらやられてしまう。
この辺、お互いの考え方が一致しないのは当たり前といえる。
神道の神は自然のあらゆるもの(人も含む)だが、例えば雨は適量なら恵みの雨だが、多ければ洪水を引き起こす。
台風の動きは、かなり遅いですね。 / HIRAOKA,Yasunobu
一つの現象が善悪両方の面を持っている。
これが自然の移り変わりの激しい日本で生まれた考え方だという。
なぜこんな話をするのか
結婚して、子供が出来て、家族の体調不良があって、更に仕事も忙しいと本当に追い詰められる。
自分の場合は、それがきっかけで結局倒れて、転職した。
では、不幸か?と言われれば全くそうは思っていない。
結構、今は今で楽しんでいる。
結局の所、楽しいと感じるかはどうかは自分の感覚一つだな、というのが結論。
当たり前のことなんだけど、余裕がないとそういうことを考えることも出来なくなる。
みんなも、余裕がなくなる前に、精神的なあり方について学んだ方が良いよ。
・・・というのが結局、宗教家が布教しようとする意思なんじゃないかと思う。
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精神的なあり方を学んでおきたいという理由が大きい。
それを乗り越えて理解した(悟った)人は、それを人に教えようとし始めるのかもしれない。
ちなみに上で紹介した本の作者は35歳で修行を始めたそうだ。
彼に何があったかは知らないが、彼なりの原体験があったものと思われる。
ムハマンド(マホメット)にしろ、キリストにしろ、敬遠な宗教家が宗教体験に目覚め、
修行で独自の宗教観を作り上げるのは30を過ぎてからということが多いように見える。
やはりそういう年なのかな。
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別にこの本を取り立てて薦めるつもりもないです。
ただ、忙しい人、追い詰められている人は、今更だけど、早く医者か、宗教に頼る方が良い。
これは、無理して倒れてから医者に行った人間の実感として。
それが財産を食いつぶす拝金教やカルトなら問題だが、
そういった特殊な部分だけを取り上げる余り、本来の宗教の役割が薄れ、
自殺が増えている一因にもなっているんじゃないかと最近感じるようになった。
本当に苦しいなら、説法や日曜礼拝に出かけるなどいかがでしょうか。
神?
で、表題について。
神が何にでも宿るのが神道の考え方なら、ことさら「マジ神!」というまでもなく
キャラクターには神性が宿っているのが当たり前なんじゃないかな、という話です。
ウルトラマンが神だという人もいれば、初音ミクに救われた人もいても良い。
それが神道的な考え方じゃないかなと。
自分は嫁であり、子供であり、猫であり、親であり、みんなに少なからず助けられている。
それに神性を感じるなら「神」でいいんじゃないでしょうか。
ニコニコ動画で説法を聞いたり、ボーカロイドを聞きまくって救われたのなら、立派な宗教な訳ですよ。
最後に小ネタ。
「祟る」は「神の顕現」を表す「立ち有り」が訛ったもの、という説が有力だそう。
つまり本来「祟る」には良いも悪いもないが、圧倒的な力を持つ神が顕現すると、大体に置いて
良くない影響が出るので、良くない語として使われるようになったということみたい。
それを聞いて思ったこと。
「出てくるだけで異形だから悪い物として扱われるって、クトゥルーの神様みたいじゃね?」
クトゥルー神話の神々も、本来人間に対して善でも悪でもないあたり、神道の感覚に近いな。
(明らかに悪意を持っているクトゥルーを除く)
ただし余りに異形なため、直視すると精神が崩壊します。クトゥルー神話もまた読み返してみたいな。
- 作者: H.P.ラヴクラフト,大滝啓裕
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あれ、結構好きです。
というかクトゥルー神話の図解事典多いな。「絵にも描けない恐ろしさ」じゃないのかよ。