時間じゃなく、タスクにお金を払える社会になればいいのに
先日、アトランタ在住の日本人と話をした話を書きましたが、向こうでの仕事は「タスク」で渡すというお話しがありました。
アメリカの仕事は基本的に「契約」なので、「どんな仕事をして下さい」というタスクが渡され、それをこなすことで評価が決まる、という仕組みだそうです。
逆に言えば早く終わればさっさと帰って良いのですが、それも良くしたモノで、本気で掛からないとこなせないような量のタスクが渡される、ということでした。
日々ドイツ人とやりとりしているとは言え、先方も別会社なので仕事の仕組み等までは分かりませんが、すぐに「responsibility(業務範囲)」を持ち出す当たり、業務が非常に細かく縦割りにされているのは伺えます。
一応は現地時間の9時が始業時間だそうですが、あまり厳密なモノではなく、大体9時になるとみんな一旦カフェスペースに行って一杯コーヒーでも飲みながら軽く雑談をする、という感じ。実際に仕事を始めるのは九時半頃でしょうか。
とはいえ、8時ぐらいには出勤している人が多いのですが、早く出勤するのは早く帰りたいからだそうで、現地時間で午後3時ぐらいになるとポツポツと帰り始め、5時過ぎには駐車場が半分ぐらい空いている、という感じでした。
どちらにも共通するのは
- 仕事は「時間」ではなく「タスク(業務)」である、という仕事の基本単位
- 「自分の業務」という責任範囲
という点。
よく言われる「仕事が出来なければ上司の責任だから、欧米に過労死はない」という件に関してはそこまで働くヤツらを見たことがねぇという過労死以前の問題により、検証は出来ていません。
普通に新商品の発売スケジュールが遅れてたりするし、お店に行けば品切れがあっても普通だし、「出来ないことは出来ない」の精神なんじゃないでしょうか。
「働き方改革」が叫ばれているそうですが、働き方を変えるというなら、単に「早く帰れ」と上司がケツを叩くだけじゃなく、本当はこうした仕組み部分を変えなきゃいけない話なんでしょうね。何時間働くって話じゃなく、別に深夜まで残って仕上げてもいいから、翌週には三時で帰ってもちゃんと給料を出す仕組みにする、とか。
タスクで仕事を渡すっていうのは、そういう事だと思います。
どうも日本には「時間」で労働を計らなきゃいけないとか、会社が社員の人生をまるごとみてやらなきゃいけないとか、そういう思想がありますよね。高度成長期の終身雇用制度のなごりなんでしょうけど。
サラリーマンが時間で縛られて働くようになったのなんてたかだかこの数十年の話なんだから、その仕組みを後生大事に抱える必要も無いわけですよ。
- 労働時間の決まり(定時退社や残業)
- 副業禁止規定
- 扶養者控除
- 通勤時の災害保険
この辺って、無くしても良いんじゃないかとも思います。
会社が保障する部分を小さくして、その分を給料に還元して、社員は個々人で通勤時の保険を賄えば、通勤手段も自由に選べるわけです。
結構「会社規定でXX通勤が出来ない」という人、聞きますよね。あとは営業の場合は客先への直行・直帰ができるかできないか。
営業が仕事であれば、それまでの移動手段なんて本来個々人の自由じゃないかと思うんですけどね。もちろん会社として出せる交通費やガス代はあるでしょうけど、それを上回る分は個人の自由として、差額を払えば良いんじゃないのとおもいますが。
どうも、これに限らずリスクを最小化しようとするあまり、非効率に成りすぎな部分が散見される印象です。
新入社員から、転職・出世もして、部下も付く身になって、また自分でゲームを作って売るようになって、物や人の流れや仕組みというのは色々見る機会があったわけですが、日本の労働の仕組みというのは、非常に「共産主義的」だと思います。
それは高度成長期のサラリーマン像から来ているんでしょうけど、個々人の能力を認める仕組みが少ない。
給与の仕組みは固定のランクがベースで、そこからの振れ幅が少ない。それはつまり、「労働者は画一的なものである」と言っているわけです。
開発職・研究職・営業職、どんなジャンルでも他の人の何十倍も能力のあるスターが出ますが、そうした人に報いる「仕組み」がない。最近は技術報償などで対応するような話が増えていますが、屋上屋の感は否めません。
この点、アメリカは一番極端で、給料は上記のタスクをベースに雇用者と労働者が「契約」して決めます。その「交渉」こそが給与決定に重要なポイントとなるわけです。
これが良いとは一概には言えませんが、「アメリカには信じられないぐらいの大金持ちも、貧乏人もいる」という先の方の言葉は、これを簡潔に表していると思います。
私はアメリカ式が良いとは思いませんが、今の日本の仕組みは余りに硬直化しすぎだと思います。
それは労働基準法など法令面もたくさんあるのですが、会社の意識で出来ることも、あるいは個々人で出来ることもたくさんあると思います。
私がゲーム制作で収支にこだわり、それを「副業」として会社に認めさせて動いているのもその一環で、会社の給料がそれほど上下しない以上、各人が景気の活性化に対して出来ることは、収入と支出、両面の拡大だろうと思う訳です。
「もっとお金を使えば景気が良くなる」は事実ですが、日本の労働形態では給与がほぼ「固定給」なので、増やすなら残業ぐらいしかないというものすごい悪循環に入っています。
それならまだ趣味を副業にでもできて、その収入をさらに趣味に使えば、一番景気が良くなる、と思う訳です。
「日本のクリエーターは安い」というのも根は同じ問題で、クリエイターですらサラリーマンと同じ人月計算で「作業」をさせられているわけです。
これがもっとも悪い形で出ているのがアニメ業界でしょう。
ジブリが新作アニメを作るに当たりアニメーターを募集、その月収20万円という提示に対して世界から「ふざけてるのか?」「搾取だ」「そんな給料で生活出来るの?」と批判が殺到。
「日本は物価が安いから生活出来るよ」というコメントも・・・
ゲームを作ることはそれ自体が色々なところにお金を落とすことになります。その際にも、こちらが個人だからと遠慮して頂くこともあるのですが、「無理な値引きはしないで下さい」とこちらからお願いすることもあります。
特に印刷業界の皆さんは、同人誌で無茶な価格・納期要求をこなされているためか「これぐらい値引きます」みたいなお話しを頂くこともあるのですが、「値引きでなく、製造上安く出来るポイントを教えて下さい」とお願いして、安く作れるカード枚数などを伺い、調整させて頂いたこともあります。
とりあえず愚痴を並べましたが、まずは日本でも「時間」や「原価」ではなく、できた「モノ」や「仕事」に対して評価をする世の中にしましょうよ、という話しです。
成果に対してお金を払う、という考えは個人でも出来て、明日にでも実行出来るはずです。
そんなことを、この一連のツイートを拝見して思ったので、つらつらと書き留めてみました。
昭和に流行ったビーズバッグ。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
持っている人は捨てちゃダメだよ。いらないと思ったら誰かに譲って。ほつれてダメになってたら、手芸する人に材料としてあげて。
光り輝く日本のビーズはスワロスキーですら再現できない。なのに、作る人がもういない。
凝った口金もご同様。最早消えるのみだから。 pic.twitter.com/ysulKiZv9W
最近なぜ、がま口が売っていないのか。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
マグネットやチャックのほうがいいから? 違う。職人がいなくなったから。
パチンと閉まって、何度開閉してもへこたれない柔軟な金属、微妙な匙加減が必要な口金が、まともな工業製品として流通できなくなったから。
それほどに職人が減ったからだよ。
技術が絶えたのは、私たち日本人のせい。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
安い物は中国製、高い物は欧米ブランドのみに目を向けて、良質な日本の職人技術をないがしろにしてきたため。
結局、ほとんどの日本人は物を見る目なんか持ってない。
だから、ちょっと良い物を買おうとしたとき、海外ブランドに寄りかかるんだ。
皮革の加工技術や縫製を自分の目や指で確かめて、鞄を買う人なんていない。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
良い物を買って、一生使っていこうと思う人はもっといない。
日本スゴイとはしゃいでいる人のうち、きちんとした日本製品をきちんとした値段で購入する人はどれほどいるのか。
今更、日本スゴイなんて言っても、取り返しのつかないものは沢山ある。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
伝統工芸の話ではない。衣食住すべて、ネジや刷毛・ザルまで、身近で手の届く範囲に容易ならざる技術があったんだ。でも現在、辛うじて残っているものも、後継者はほぼいない。跡継ぎがいても、生活できないから継がせないんだよ
多分、あと十年ぐらいで、スゴイ日本は土台から崩れて潰えるよ。
— 加門七海 (@kamonnanami) 2017年5月28日
これは比喩でも皮肉でもない。
今まで何度か似たようなことを記してきたけど、本当にもう日本はヤバい。
戻れないところまで来てるんだ。