「保護猫カフェ Dear Cat」について
マンガやアニメでは段ボールの中で
捨て猫や捨て犬が濡れぼそって泣いている光景をよく目にしますが、
実際にそんな犬や猫にミルクをあげたところで何の解決にもなりません。
そんな動物をどうしたいいのか。
うちの近くに「保護猫カフェ」という名前のカフェがあります。
その名の通り捨てられていた猫を保護し、その猫たちで猫カフェを運営しています。
捨てられていた猫や野良猫は警戒心が強いので、
「拾ってくるだけならタダじゃねぇか」という訳にはいきません。
むしろまずは隔離の上きちんと洗ってあげて、
病気のチェックと予防接種、かつ慣れるまで世話をするという
膨大な手間が掛かります。
そしてカフェの目的は最終的には「飼われる事」。
お店で気に入った子を連れて帰り、「保護猫」から「家猫」になることを目指しています。
もちろん「欲しい」と言ったら即連れ帰るわけではなく、
カフェで何度か会って馴染んだ子を、お試しで連れて帰るなど、
こちらも手間が掛かります。
カフェとして店舗経営されているのも、目的はそうした「面接の場」で
あるとともに、手間と時間の掛かる保護活動の運営資金を得るため。
カフェは今の場所に移転されてそれほど長いはありませんが、
住宅街ということもあり、家猫として貰われていった子もポツポツと
居るという話を伺って嬉しい限りです。
この子ももう貰われていったそう。
ところが現状としては、受け入れ要請が多くパンクしつつあるそう。
店長のツイートをいくつか転載させていただきますが、悲鳴が聞こえてきます。
今日は朝から相談telが鳴りっぱなし。キャパオーバーですとお伝えしてるにも関わらず、一方的にお話される。ほとんどの方がお庭でご飯をあげていて、なついたら&増えたら困る、、と。
— 保護猫カフェDearCat/生駒 (@dear_cat_cafe) 2016年10月3日
断る側がどんな気持ちで何故断るのか、その後に、どんな気持ちになるかなんてきっと考えられないのでしょう。
どの保護活動者の方も断ったら、はい、それまで!ではなく、場所まで言われたら気になって結局見に行ってしまったり、自分が断ることで見捨てたような気持ちになってしまうんです。「あっちにもこっちにも断られた!」って批判や不満を言えば簡単かもしれませんが、、相談受ける側にも心があります。
— 保護猫カフェDearCat/生駒 (@dear_cat_cafe) 2016年10月3日
保護される猫はかわいくてもらい手の見つかりやすい子猫ばかりではありません。
性格的に気性が荒く、どうしてもカフェには連れてこられない子、
病気や事故で体に欠損や障害のある子、
すでに老齢でもらい手の難しい子などもいます。
保護猫カフェの店長さんはこうしたもらい手の無い猫は自分で育てられていらっしゃるので、
どうしても頑張れば頑張るほどパンクしがちになるようです。
癒着で両目が開かず引っ付いてて目薬でやっと右目は治ったものの左目は少し残ってます。でも目は見えてるし普通に生活できるし何も、本当に何も変わらない。私は龍馬のこの目が、タレ目みたいで可愛くて好きです。優しい里親さんに出会えますように、、☆ #里親募集 #奈良 #生駒 #保護猫 #猫 pic.twitter.com/8XPsMaZD5y
— 保護猫カフェDearCat/生駒 (@dear_cat_cafe) 2016年9月23日
ペットショップの生体販売が問題視されることも多いですが、
ショップで購入した犬や猫をトレース(追跡)する法律などが無い日本の現状では、
お金さえ出せばすぐに動物が飼えて、人知れず捨てる事も簡単なのが現実です。
我が家の猫は二匹居ますが、元々は保護された野良猫です。
私の時は店舗ではなく、そうした保護活動されている方のおうちに
お邪魔して、猫を貰ってきました。(そうした支援団体があります)
保護猫カフェの活動に賛同したいのは山々ですが、現状できるのは
たまにカフェにお邪魔してお金を落とすぐらいです。
我が家の猫のうちの一匹。
短期間の文字通りの保護、家猫としての引き取り、私のようにお店にお邪魔してお金を落とす、出来ることは何かしらあるかと思います。
そういえばお店の猫の写真を撮ってポストカードにして持ち込まれた方もいらっしゃるそうです。
「これを良ければカフェで売って下さい。売上は猫のエサ代にしてあげて下さい」と。
また猫砂やエサの寄付などもあるそう。
「保護猫カフェ」自体が一つのコミュニティとして機能している感じがして、大したものだなぁと思います。
保護猫カフェ、Dear Cat。
奈良の片隅で「ひっそりと」という形容詞が似合うと言って良い立地ですが、店長さんが日々奮闘されています。
動物を飼うということはこういう責任を負うことになるんだなと、重苦しくなく実感出来る良いお店です。
正直な所、店長一人の力で切り盛りするのも限界があるでしょうし、とはいえ儲かるものでもないので人を増やすのも厳しいのではと推測されます。
応援はしたいけれども何が出来るかが分からずもどかしい。
今日のこの記事は店長の嘆きとも言えるツイートを拝見して、思わず勢いで書き綴りました。(写真は過去にお店にお邪魔した際のものです)
お店から何かを頂いているわけではありませんし、カフェは既に色々な所で紹介されて飽和状態に近いときもあるようです。
「生体を飼う」という事について、その裏でこうした動きを取っている人がいるんだよという発信になればと思います。