「遊び」をバカにするな
ボードゲームを作り始めて色々な繋がりができました。
その一つに学童保育をはじめとした保育施設の方々があります。
自分の娘も小学校で学童保育に行くようになり、利用者としても感じるのは
とにかくお金がない、ということ。
「塾ならお金が出るんですが、学童で少しでもお金が掛かるというと反発が出ます」
とはある先生のお話。
「同じ子供を預かるにしても、預かって遊ぶ学童ではお金が出ないが、教育を前面に出す塾ではお金が出る。指導員としての仕事は変わらないんですが」
とも。
「遊び」には金が出ない
これに限らず、「遊び」の地位は低いんだな、とは感じます。
例えば今、「ポケモンGO」が恐ろしい勢いで流行していますが、ニュースではそれを批判する声が目立つようです。
ポケモンGOは我が家では家族揃って近所を散歩する、非常に良いきっかけとして機能していますし、その中で近所の公園や神社の再発見にも繋がっています。
もちろん歩きながらゲームをする危なさはあるでしょうから、その点はよくよく娘には注意しています。
ビジネスとしても日本の任天堂および株式会社ポケモンが米国企業に投資し、その資産をうまく使って世界的に大成功したのですから、素晴らしいことです。
技術的にもGPSやARの可能性を見せてくれたことは今後の新たな開発に繋がっていく事は間違いありません。
今までうまく伝える事ができなかった、「地図をベースに別レイヤーを設けてAR化する」という可能性が、ここまでの実績を持ってPRされたわけですから。
しかしどうもニュースの反応は鈍い。
それはやはり、これが「遊び」だからだと思うわけで、その地位の低さが原因ではないかと思うわけです。
「遊び」じゃダメなの?
そういえば私の母親は、私が趣味でゲームを作っている事に対して「いつ辞めるの?」とことあるごとに言ってきます。
「ゲームなんか」という思いがいつまでもあるようです。
この対抗手段として、「ボードゲームはコミュニケーションツールとして優れている」という論を張ったり、「ボードゲームは遊びか教育か?」という煽りのメーカーがあったりします。
つまり「ボードゲームは知育だ」という提案ですね。
でも、正直遊ぶ側としては「面白いから遊んでる」でしかありませんよ。
良くも悪くも、ボードゲームはまずは「遊具」です。
教育の要素はあっても、それは本質じゃありません。
実際にうちの娘は「ぴっぐテン」で足し算が猛烈に速くなったし、ボードゲームの教育要素は、あります。
でも、それだけをピックアップすると「トイレを我慢するゲーム」は存在しなくて良い、という話になります。
そんな事はありません。
教育にいい物も悪い物もひっくるめて、色々な物がある事が重要で、そのカオスの中でこそ、時に名作が生まれるのだと思います。
「役に立つ」という言葉の危険性
遊びだから役に立たないと言われればそうかもしれない。
でも、役に立たないから不要ではないし、役に立たないかどうかすら、その時点での判断は難しいと思います。
私はナウシカというアニメが無ければ工学の道に進まなかったし、隠れてエロ画像を見たいからインターネットの仕組みやセキュリティの考えを身につけていきました。
フォルダ構造や隠しファイル、履歴やProxy、HTMLの読み方等々、同じような経験をした男子諸君も多い、と思います。思いたいです。
ここでナウシカを挙げると「宮崎駿は別格だから」なんて意見を聞く事もありますが、宮崎駿や手塚治虫作品が他のマンガやアニメと本質が違うわけでもなく、逆にマンガが小説より優れているとも思いません。
それぞれにそれぞれの魅力がある、それでいいと思うわけです。
(その手塚治虫だって奇子なんて近親相姦エログロの作品も書いてますしね)
では重要なのは何か。
私は大事なのは「情報の総量」だと思っています。
汚い物も、きれいな物も、とにかくたくさんの選択肢を用意する。
遊びを絞ってどうなるのか
不健全な物を絞って、健全な物だけを与えることこそ「異常」な状態です。それを推進する人に、共産主義的な情報統制下で育つメリットを教えてもらいたいものです。
(北朝鮮や中国にはそうした意見の方の「楽園」があると思うので、亡命されたらよろしいかと思います)
遊びで学ぶ
「遊び」の地位が低いのは、「勉強」「勤労」に異常に高い地位が与えられていることの裏返しだと思います。
会社での労働生産性が低く、長時間労働が広まっているのは「お客様は神様」と並び日本の悪癖ですが、これも「勤労は良い事で、休むこと(遊び)は悪い事」という前提条件が広く認識されているからではないでしょうか。
アメリカでは肥満が社会問題ですが、その理由は置いておいて、その解決策にコナミの「DANCE DANCE REVOLITION」がたくさんの学校で導入されていました。
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また同じくアメリカ、アイダホ大学では大学の「身体授業」のクラスでポケモンGoを導入したそうです。
「毎日歩け」と命令するのではなく、運動したい環境を作るという発想は素晴らしいと思います。
勉強に関しても同じです。
情報をどん欲に取り込むには、取り込む側が楽しまないと難しいです。
無理に押し込んだところで限界があるし、効率も悪い。
全国の駅や名産を「桃太郎電鉄(桃鉄)」で覚えた人も多いでしょう。
あんなのはごく一部の偏った知識かもしれません。
でも、その偏った知識をいろんな方面から、バラバラとつなぎ寄せれば、十分な知識のバックボーンになります。
机で慣れない漢字や数式と戦う勉強は確かに大切ですが、遊びによる経験・体験も大事です。
アタマばっかりでも、カラダばっかりでも
私はどちらかといえば今は勉強好きな方だと思いますが、だからといって「勉強だけやってろ」と子供に言うつもりはありませんし、言っていません。
実際に大学時代は勉強大っ嫌いでしたしね。
会社はできるだけ早く帰るようにしていますし、有給も普通に使います。
効率第一。
ねむようこさんの「午前三時の無法地帯」は絵も好きだしキャラクターも良いのですが、「猛烈なブラック企業でみんな仕事内容自体が好きなわけでもないけどそれを改善しようとしていない」という環境が相容れなくて好きになれません。
この作品に限らず、どうもブラック企業が当たり前のように作品で描かれ、それを登場人物が改善しようとしていないのは、私は苦手です。
大体の作品は「好きな仕事だから」という「生きがい搾取」ですけどね。編集王、重版出来、NEW GAME!、エトセトラ・エトセトラ。
もっと効率よく働いて、自分の時間で好きな事をやればいいのに、と思います。
それが副職でも勉強でもいいんですが、せっかくの自由時間なんだからもっとみんな遊べよ!と思うわけです。
そこに「役に立つから」なんて言い訳は必要ないと。
そんな世の中になればいいと思うし、まずはみんなが「そうなればいいな」と思うことがスタートじゃ無いかと思います。
例えば休みの取り方。
日本全国が8/15前後に一斉に休みを取るのは、仕事の効率を考えると、一番良い。
でも、遊ぶ観点から言えば一番効率が悪いです。(施設が一杯になる、高額になる)
例えばドイツでは、州ごとに学校の夏休み期間がズレています。
企業も、その地域の学校の休みに併せて夏休みを設けるので、結果として日本のお盆のような極端なラッシュは発生しません。
もちろんその分仕事の効率は落ちます。
でも、そんな効率より、休みの効率の方が大事なわけです。
そうした発想の転換を、まずはやって、浸透すれば良いなと思います。