「よつばと!」が本当に児童書として優れていた件
「よつばと!」を5歳児に読ませる、という記事が先日人気を博していたので、我が家でも試してみた。
元ネタはこちら。
・リンク → 児童マンガとしての『よつばと!』−紙屋研究所
都合の良いことに、我が家の娘もちょうど5歳。
絵本をたくさん読むし、アニメ好きなので文字にはかなり触れている方だと思う。
なぜか「殺」「敵」「唄」なんて漢字が読めてしまうあたり、触れているものの片鱗が窺える・・・
一応補足すると「よつばと!」は5歳児「よつば」が主人公のほのぼのギャグマンガ(でいいのか?)
父子二人暮らしのよつばと、お隣の三姉妹+母、父の友人ジャンボを軸によつばの日常が描かれている。
〜
既刊11巻
とりあえず読ませてみた
とりあえず読ませてみたら・・・ハマッた。
すげぇ、本当に5歳児が大喜びするんだ。
今までうちの娘が触れた書籍と言えば、絵本や子供向けの雑誌ばかり。
「そとからかえったら、てをあらおう」
「うわ〜こわいどうぶつがやってきたぞ〜」
なんていう、いわゆる児童書だったわけだ。
その娘にとって、「よつばと!」の表現はもの凄く衝撃的だったらしい。
最初に大喜びしたのはよつばがブランコに乗って、「おしておして」と頼んでいるシーン。
「よつばはブランコ自分で漕げないんだ〜」
ってお前もそうだろうが。
そういう「大人の目から見た子供」ってよく考えたら触れる機会が無いのかもしれない。
僕が「よつばと!」を読ませなかった訳
「よつばと!」では、セリフ全てに振り仮名が降られているというのは気づかなかったが、
実は「よつばと!」は意識して今まで子供に読ませないようにしていた。
それは子供の教育上の・・・というと聞こえは良いが、要は親のエゴだ。
「よつばと!」では、よつばがドラマに感化されて突然水鉄砲で親を撃っても、
「やられた〜!」と言ってみんな付き合う。
子供と同じテンションで「パンツマンだ〜!」と言って遊ぶ。
子供と同じ目線で遊ぶ、という意味では よつばの親は偉いし、凄いと思う。
もちろん、父親一人で育てている上、かなりの放任主義なので色々問題もある。
(近所なら一人で出て行っても放置、というのは今の日本じゃユートピアだろう)
でも、子供にとっては凄く良い父親として描写されている。
「よつばと!」を読んで、自分の父親がこんなに相手してくれないとか、不満を持ったらどうしよう。
それが怖くて、「よつばと!」を見せていなかった。
なんとも、我ながら情けない限り。
「児童マンガ」という括り
ところで上のリンクでも「よつばと!」を「児童マンガ」と表現していたが、
文学とマンガってそこまで区別しなきゃいけないのかな。
先日台湾に出張に行ったときに、空港の書店で撮った写真。
空港内の書店で、全部中国語(繁体字)なんだが、かなりの本は日本の書籍の中文訳。
で、ここは「文学」というタグのゾーン。
写真は潰れていてよく分からないが、上段左は「1Q84」、そして右側が「深夜食堂」。
1Q84は言わずと知れた村上春樹の小説、深夜食堂はドラマにもなったが、並んでいるのは原作のマンガ。
深夜食堂はそこまで文学か?という疑問はさておき、とにかくマンガを「マンガだから」と区別せず、
文学的な物であれば文学の棚に置くという感覚は、日本より余程進んでいると思った。
してみれば、「よつばと!」も「プリキュアのひみつ」も「ミッケ!」も「はらぺこあおむし」も
ひっくるめて「児童書」でいいんじゃないかな。
日本の書店は大体「絵本」というジャンルで区分しているけど、子供向けの書籍はもっと幅広く出来るし、
それを読んで楽しむのも、子供に限る必要は全然無い。
今話題になっている「地獄」とか、大人が読んで普通に面白いし。
あと浦沢直樹の「泣いた赤鬼」の最後の一枚は本気すぎ。卑怯。見る価値あり。
ネットの書籍販売や電子書籍によって、リアル書店が困っているという話が出ているけど、
こういった売り方の提案はリアル店舗にしろ、ネットの店舗にしろどんどん重要になっていくと思う。
その意味でも「よつばと!」を誰向けと考えるかは良い思考実験なのかもしれない。
ところで「父子ふたり家族、しかも実の親子では無い」という同じ設定の「ごっこ」という作品をついでにご紹介。
こっちはどちらかというと父親視点で、「子供を育てることで父親も教わることがたくさんある」という目線。
でも、なぜか出てくる人がとにかく極端で、なぜか人がチョイチョイ死ぬ。
(この作者の作品に慣れていれば、むしろおとなしめとも言えるけど)
これは子供向けじゃ無いね、どう考えても。
この作者としては非常に読みやすいので、マンガ好きのお父さんにはお勧め。