ペンとサイコロ -pen and dice- BLOG

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「リスク」を考えない社会

昨日も「学校教育ではリスクを教えない」と書いたが、
やはりどこかで教えておくべきだと思う。
学校を出て、ずっと仕事をしたことがない、あるいは安定した仕事とかだと
リスクをきちんと考えたことがない、という人もいると思う。
もちろん社会人ならみんなリスク計算が出来る訳でもない。
要はみんなが勉強する機会を持った方が良い、、大事な話なんじゃないかということ。


分かりやすいのは今回の原発の件。
原発は安全か?」
という問いは簡単だけど、「100%安全」はあり得ない。
もちろん「100%に近くなるよう、できる限り努力する」のは当たり前。
しかし、「リスク部分はあるので、緊急時にはこういったことを行う」
という対策を考えておかなければいけない。

リスクを考えられない人による、原発の闇

原発「100%安全」と言わなければ「なんか怖い」という地元住民のせいで
新設できないという異常事態にあった。


原発が100%安全なんてあり得ない。
そんなもん、工学屋なら誰でも分かる。
トヨタとかデンソーの工場に行って、
「この部品は100%壊れません」なんて言ったら、間違いなく
「ウソ言うな!帰れ!」と言われる。
よく分かってない新人は、結構これに近いことを本当に言って怒られる。
車はどこかで壊れるもので、そのリスクをいかに分散させるか、「安全に壊すか」が自動車屋の肝
壊れないものはない。だから「どう壊すか」を工学屋は考える。
原発はその工学屋の発想を殺した。


「100%でないなら原発は作っちゃダメ」というのはタダの思考の停止。
「100%でないというリスク」「トラブル発生時の最悪の状況」を考え、
それと原発によるメリット」を天秤にかけられていたかが重要。
日本の原発建設計画は「100%安全なので、その建築/運営コストと収益」という
単純な計算でなされていた。
これはおかしい。
原発の推進派か否定派か、と言われれば
「それを判断する中立的な数字が分からないので、中立」と言わざるを得ない。


簡単な例を二つあげる。

原発の構造を改良しない

福島第一原発に関して言うと40年以上基本設計が改良されていない。
特に安全性に関してはより改良された方式があるのに、
「100%安全なら改良する必要はないだろう。改良が必要と言うことは今の原発は安全じゃないのか?」
という訳の分からない理論で改良が出来なかった。

原発を複数隣接する

今回のような最悪の事態を考えれば、原発は分散させた方が絶対に良い。
恥ずかしながら今回の事故まで、原発が一カ所に何基も固まっているなんて知らなかった。
あんなリスクの高いモン、一カ所に固めて設置するなんて、どうかしてる。
でも、「うちの自治体に置きたくないし、100%安全ならまとめておいたらいいじゃないか」
と言われると、それを否定できない。

日本にも「緊急事態法」を

わかりやすい例だから原発を挙げたが、原発について意見を述べたい訳じゃない。
日本ももっとリスクを考えた方がいいんじゃないか、ということ。


分かりやすいところだと「緊急時特別法」
大変な事態が起きたときには、通常法を無視する特別法を適応できる、という考え方。
大変な事態というと例えばこんな感じ。

  • 他国の侵略
  • テロ
  • 大災害(自身、津波、台風)
  • 大事故(タンカーの事故、原発事故など)

「そんなのあり得ない」、「そんなことが無いようにしないといけない」ではなく、
「いざ起こっても大丈夫なようにしよう」というのが大事。


例えば道路交通法は日本の公道に適用されるが、
これは現状では他国が戦車で攻めてきても適用される。
となると、道の向こうで戦車が向かってきていても、自衛隊は赤信号で止まらないといけない事になる。


そういう所からみんなに「考える癖」が付いていけばいいと思う。
生活の中でも、
「もし地震が来たら・・・」→「この家は地震が来ても大丈夫」ではなく、
「もし大地震で持たなかったら?」と考える。
「もし自分の親が倒れたら・・・」→「オレがもう死ぬというのか」ではなく、
「明日事故で死んでも大丈夫しておかないと」と考える。
考えることには精神的に辛いかもしれないけど、
悪い方に考えておく癖が付けば無駄に深刻にならずに済む。
人の話にせずに、自分の身の周りでも、是非。